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あるものの想い

 私には、かつて、とても大切に思っていた人がいた。

 その人は、とても背が高く、野生のレッドパンサーを思わせるようなしなやかな肉体を有していた。顔立ちは精悍で、その辺にいる人間達の中で誰よりも気品があるように私には見えた。
 客観的にも、その通りだったのだろう。
 彼に近しい女達が、「ハンサムよね」と噂していたのを、私は何度も耳にしている。
 そのたびに、悲しいような誇らしいような、なんとも形容しがたい感情が胸の内に湧き起こる。
「住む世界が違うのだから、諦めなさい」
 友人たちにそう忠告されたことも、何度かあった。
 そのたびに、私は「うん」と曖昧な返事を返していた。
 友人たちの忠告は、まったくもって正しい。
 彼は、自分とは違う。
 目に鮮やかな緑と白を基調とした立派な服を着、銀色に輝く鎧を纏い、剣を腰に帯びた彼は「騎士」と呼ばれる人で、かつ、大勢の男達から「団長」と慕われる人だった。
 でも、
「ありがとう」
「いつもおまえには助けられているな」
 彼の口から紡がれる感謝の言葉。真摯な瞳。頭を撫でる大きな手。
 その度に、この身を歓喜が貫き、分別という単語の無意味さを思い知った。
 手が届かない人ならば、せめて、この身を懸けて彼を守ろう。
 それが、戦場で最も彼の身近にいる自分の使命なのだ。
 いつしか、私はそう誓っていた。
 
 
 それなのに、別れは突然やってきた。
 晩春だというのに、やけに寒かったあの日。
 剣戟と風きり音、そして悲鳴が交錯する戦場で。
 流れ矢によって脚を負傷した私に向かって、あの人はこう言った。
「ここまでご苦労だった。おまえはもう戦わなくていい」
 私は、当然抗議した。
 まだ戦える。この程度の怪我なら、自分で治療できる。
 まだ、あなたの力になれる。
 一緒にいたい、と。
 しかし、
「おまえは生き残れ。生き残って、私達の志をいつまでも忘れないでくれ」
 彼は私の耳許にそう囁くと、声を張り上げた。
「骸騎士団団長ウィーグラフ・フォルズ、ここにあり! 私の前に立つ者はいないのかッ!」
「ヤツだッ!」
「捕らえよ!」
「逃がすなぁ!」
 前方へと駆け出す彼に向かって、武装した人間達が何人も殺到する。
 彼は襲いかかってくる人達を剣で斬り、なぎ払い、不思議な光る技でもって無力化していく。
 遠ざかっていく彼の背中。
 私は癒しの術を発動させたが、想像以上に深かったのか、矢傷はすぐに治らない。
 いつも見続けていた広い背中は徐々に小さくなり、やがて人混みに掻き消えてしまった。
 置いていかれた。
 彼は、私を生かすために自ら囮になったのだ。
 私の誓いは、守ることができなかった。


 その後、私は失意のうちにあちこちをさまよった。
 生きろ、と言われた以上、死ぬことはできない。
 忘れるな、と頼まれた以上、彼のことを忘れることはできない。
 でも、どうやって生きていけばいいのか、どうやって彼の生き様を伝えればいいのか、私には分からなかった。
 放浪の過程で、偶然であった同族の者達に彼のことを話す機会もあったが、みんなは同情するだけだった。
 それでは意味がないのだ。
 同情されることなど、彼は、絶対望んでいない。
 そのことは、痛いほど理解していたからだ。


 あてのない旅によって、心身共に疲れ切っていたのだろう。
 彼と離れ離れになってから約一年後、私は信じられないミスを犯した。
 深い原生林を歩いている最中に、ゴブリン族のアジトへと入ってしまったのだ。
 テリトリーを犯された彼らはいつになく怒り、そして強暴だった。群に属する雌達が、繁殖の時期を迎えていたからだ。
 こちらの周囲を取り囲み、錆だらけの短剣をちらつかせて、一息に殺せる機会を窺っている。
 一方、私の武器といえば、同族の者達に立派だと言われ、あの人にも賞賛されたこの嘴しかない。一人くらいなら倒せるだろう。しかし、二人目、三人目と連続で攻撃されたら対処のしようがない。やられてしまう。死んでしまう。 
「もうダメだ」
 脳裏にあの人を思い浮かべた瞬間、奇跡が起きた…。


「ボコ、どうした?」
 金髪の少年が、心配げに覗き込む。私はなんでもないという意思表示代わりに、かぶりを振った。
「今日はお疲れ様だったね。君のお陰でずいぶんはやくここまでこれたよ」
 泥だらけになっていた馬蹄を綺麗にしてくれる彼の手つきは手慣れたものとは決して言えないが、とても丁寧だ。
 私達の扱いに慣れていたあの人とは違うが、私のことを大切に思ってくれていることは共通する。
 嬉しさと懐かしさが、喉を通過して嘴からでてしまった。
「よし、きれいになった。ご飯は…チョコボって何が好物なんだろう。ええっと…」
 首を傾げている少年に向かって、私は「好き嫌いはないよ」と声をかけた。
「ひとまず水だな。とってこよう」
 焚き火の方へと駆け出す少年を眺めつつ、私は不思議に思う。
 こうして間近でみると、彼はずいぶん幼く見える。
 あの人より背が低いし、声は逆に高い。
 そうだ。あの人とは違う。
 なのに、なぜ、私は彼と共に行動しようと思ったのだろうか。
 彼に命を助けられたのは事実だ。
 あのとき、彼は自分の身を省みず、まっさきに私の下へと駆け寄ってくれた。襲いかかるゴブリン達によって幾つも傷を負わされても、決して怯むことなく、逃げ出すこともなく。なんだか今にも泣き出しそうな表情で。
「ボコ、持ってきたよ」
 顔を上げれば、あのときとは変わって明るい表情をしている彼がいる。私の足下に、水を張った桶を置いてくれた。
「全部飲んでもいいよ。ああ、でも、お腹壊さない程度にしてね」
 そんなに心配しなくても、チョコボ族はけっこう頑丈なんですよ。
 そう答えたところで、異種族である彼には理解できないだろうが…。
「笑われたように感じたけど、僕、おかしなこと言ったかな?」
 金髪の少年は、真剣な表情で私の目を見ている。
 真摯な瞳は、色は違えどあの人と同じもの。
 ―――資質がある人間だ。


 勧められるままに、私は身体を屈めて水を摂取する。
 いつか、彼と意思を交わせるかもしれない。
 あの人の願いを伝えられるかもしれない。
 小さな希望の種を、胸の内に秘めながら。

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