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同じ道

 王国歴四五四年白羊の月一日。
 この年、貴族の子弟のみで占められた士官アカデミーに平民出身者が初めて入学を許された。
 その者の名は、ディリータ・ハイラル。
 後に勃発する内乱・獅子戦争を終結に導き、イヴァリース国の政治体制を封建制から絶対王権制へと変容させ、歴史上燦然たる輝きを残した英雄王その人である。
 しかし、当時のディリータ・ハイラルはそんな未来の自分をつゆ知らず、ただ、親友であり大恩あるバルバネス・ベオルブの息子でもあるラムザ・ベオルブの後ろをついていくくらいにしか考えていなかった。
 の、はずだったのだが…。
「ベオルブ候補生がまだ来ないのじゃ」
 士官アカデミー最高責任者にして学長の名を冠する老人が言い、じっとディリータをみつめる。
 卓を挟んで正面に佇立するディリータは、動揺を表さないよう必死に感情を抑制し表情を取り繕った。
「彼には新入生代表として式辞を読み上げてもらわなければならないのだが、予行時刻から半時間も経過したのにいまだに姿を見せんでのぅ」
 ディリータは記憶の糸をさかのぼる。
『行ってくる』
 黒を基調に銀の装飾が施された式服に着替えたラムザが、寄宿舎の共同部屋を出ようとしていたのは、いまから一時間ほど前。
『随分早いな。式まであと二時間はあるぞ』
『この時間に学長室へ来るよう、言われたんだ』
『そうか。じゃ、式場で』
 というような会話をし、出ていく彼の背中を確かに見送ったのだが…。
「首席のベオルブ候補生が入学式をボイコットするとなると、代理として、次席のそなたに式辞を読んでもらうことになるが…」
 ―――冗談ではない!
 率直にそう思った。だから、
「可及的速やかにベオルブ候補生を見つけ出し、こちらに連行します」
 気をつけの姿勢で、ディリータは学長に告げた。



 一目で新入生とわかる黒の式服を着たままだから、同じ立場の者が集まり、それでいて人の目がつきにくい場所に探し人はいるのではないか。
 ディリータの予想は見事的中した。講堂の外れに位置し、人が三人も入ればはみ出そうな小さな庭。その中央にある楡の木に背を預けて寝入っているラムザの姿を探し出すまでに、さほど時間はかからなかった。
「起きろっ!」
 問答無用で両肩を揺すると、薄い唇から小さな呻き声が漏れ、閉じられていた瞼がゆっくりと開く。茫洋とした青灰の瞳がこちらの姿を捉えた瞬間、意志の光が宿る。彼はにっこりと笑った。
「ああ、おはよう。ディリータ」
「おはようじゃない、学長が探していたぞ」
「そう」
 学長の一言で用件がわかったのか、ラムザは気まずそうに顔をしかめ、くしゃと前髪を掻き上げる。だが、数秒待てど、下ろした腰を上げる気配を見せない。それどころか、膝を抱えて「行きたくないな」と呟く。
 ディリータは目を見張った。
 騎士を志してきたラムザにとって、士官アカデミー入学は、その願いを叶えるための第一歩となる記念すべきもののはずだ。実際、この数ヶ月というもの、書類選考に備えて必死に勉強していたではないか。入学許可証が届けられた瞬間、いつになく喜びを顕わにしていたではないか。
 なのに、なぜだ?
 ひとまず疑問は胸の内にとどめ、ディリータは幼なじみの隣に腰を下ろした。傍らにいる彼と同じように背を幹に預けて正面を向けば、相手の身体は見えるが表情はわからない位置にいることになる。
「服、汚れるよ?」
「人のこといえるか」
 素っ気なく返せば、数秒の間をおいて彼は「そうだね」と答えた。
 沈黙が訪れる。
 かしゃ、と鎖が揺れる音が聞こえた。目だけを動かせば、ラムザは携帯時計の文字盤を見ている。
「もうすぐ新入生集合時間だよ。行かなくていいの?」
「点呼みたいなものだから行かなくても支障ない。どうせ、式場でも学生証で身元確認されるし」
「よく知っているね」
「ザルバッグ様が教えてくれた」
「…そう」
 再び、沈黙が訪れる。
 若葉を透過して細くなった陽のシャワーを全身で浴びていると、脇の下がじんわりと汗ばんできた。黒い服が熱を吸収したのだろう。気まぐれに吹く微風が、涼しくてとても気持ちいい。若葉がさやさやと擦れる音は、まるで子守歌のようだ。
 不意に、頭の片隅が、ここにきてかなりの時間が経過していると囁く。その声は続けて言った。このままでは二人して入学式をサボることになるぞ。入学資格を損なうことはないが、心証の面から不利になるかもしれないぞ、と。
 頷きそうになる自分を押し殺し、感情として顔に出さないよう細心の注意を払う。
 そして、ただ、待った。
「どうして、僕が式辞を読まなくちゃいけないんだろう」
 彼の口から、ようやく彼自身のことが語られる。それは、本音が引きずり出された瞬間であり、ディリータが先程から待ち望んでいた時でもあった。
「書類選考が首位だったからだろう?」
「どうして僕がそんな好成績を残せたと思う?」
 猜疑的な言い様に、ディリータは戸惑った。視線を向けるも、彼は抱えた膝の上に額をのせることで、その表情を巧みに隠している。
 その言葉を反芻し、噛み砕き、咀嚼し、そして隠された意図を推し量る。だが、いったい彼が何を迷っているのか、何に疑念を持っているのか、よくわからない。しかし、何も彼に伝えないという選択肢だけは、絶対に選べない。
 迷いつつも、ディリータは思ったままを口に出す。
「お前がどんなときでも鍛錬を怠らなかった姿勢が評価されたんじゃないかな」
 彼からの返事は返ってこない。
 的はずれなことを言ってはいないだろうか、と不安になりつつも、続ける。
「騎士の修練はたった一日で成果が出るものじゃない。こつこつと毎日繰り返すことによって、一年後くらいに目立った成果が出る。とても地味なもので、確かな意志のある者だけが耐えうる苦行だ。だから、選考基準で最も問われているのは、意志の強さと、それに裏付けられた日々の生活態度だと思うぜ」
「それなら、ディリータの方が僕よりも何倍も優れているじゃないか」
 白い額が膝から離れ、青灰の瞳が上目遣いにこちらを見る。ディリータはゆっくりと頭を振った。
「いや、俺はお前に劣るよ」
 荒れ地を切り開き道を創る者と、その道を辿る者。どちらが優れているか、少し考えれば誰にでもわかることだ。ただ、この幼なじみだけがわかっていない。奇妙におかしいことだった。口元が自然に緩む。
「ラムザ、俺は本気でそう思っているんだぜ」
「………」
「もっとも、今のうじうじモードのお前を見ていると、この先もそうだとは限らないな」
「うじうじモード?」
「アルマからの手紙にそう書いてあったんだ。ぴったりの形容だと思わないか?」
 途端に、ラムザが唇をへの字に曲げた。
「張り合いのあるライバルがいないと、騎士の修練は面白くないからな。元気出せよ」
 ディリータは目の前にある金色の頭をポンポンと叩く。いつもなら「子ども扱いするな」と抗議されるのに、このときばかりはなかった。



 暫く時が流れ後、ラムザが立ち上がった。
「もう間に合わないかもしれないけど、学長室に行ってくる」
 そう言う彼の顔には、一定の決意がある。ディリータも立ち上がった。
「学長に『連行する』と言った手前、俺もついていくよ」
「そんなこと言っていたんだ。ひどいなぁ」
 ラムザが不満げに頬を膨らませる。表情の豊かな変化にディリータは安堵し、ふっと思った。
 朧気な目標があるだけで、将来何が起こるかなんて具体的には誰も分からない。
 多感な彼のことだから、不安は尽きることはないだろうし、迷うこともあるだろう。
 そんなとき傍らにいて、手を差し伸べることができればいい。
 彼が切り開いた道を舗装し、より強固なものにするのが、自分の役割なのだ、と。



 それは、同じ道を彼と一緒に歩むのだと信じていた頃の、嘘偽りのない気持ち。

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