瞼の裏にいる君
「うぅ〜寒いな」
「ああ、人馬の月に入るなり急に冷え込みやかった」
「もうそんな頃か。今日は…四日だったか?」
「アホ、三日だ。」
偶然耳に入った会話で、ラムザはようやく気づいた。
今日が、ある人の誕生日であることに。
昨年までは忘れずに祝ってきたというのに、今年は思い出しもしなかった。
随分薄情になったものだ。いや、カレンダーをみることのない傭兵暮らしなら、仕方がないだろう。
自嘲と言い訳を繰り出す心を静めるため、瞼を閉ざす。仮初めの暗闇の中、一年前に思いを馳せれば、鮮やかにある光景が蘇る。
『これに蝋燭を立てるのは無理じゃないか。炭化して刺さらないぞ』
『でも、他に十六本の蝋燭を立てられる場所がないわ』
『上に置くのは? 蝋を垂らせば固定できると思う。なんだったら、わたしが火炎魔法で蝋を溶かして固着させてもいいよ』
『だああああ、室内で魔法はやめろ!』
『そうよ、頼むからぁ!』
呪文詠唱に入った小柄な少女を、必死に止める黒髪の少年と亜麻色の髪の少女。祝いの卓に置かれた黒こげケーキの周囲で、もみくちゃになる三人。卓から転げ落ちる、茶菓子のカケラ。
その様子を冷静に眺めて、
『おめでとう』
カップを掲げ祝いの言葉を贈る、長身の少年。
『一人前の男は、菓子よりもこっちだ』
企み顔で酒瓶を持ち出し、嫌がる彼に無理矢理飲ませようとしている、かつての恩師。
視線を滑らせば、宴の主役たる彼が隣の席に座っている。
だが、なぜか、その顔には感情らしいものは浮かんでいない。
数瞬後、こちらの視線に気づいた彼が、身体ごと正面に向き直る。一皮むけたようにその表情は一変しており、榛の瞳に苛烈な光が宿った。
『俺に構うな、ラムザ! アルガスの次は、お前の番だッ!!』
心臓が一際激しく跳ね上がり、咄嗟に瞼を開く。
目に写るのは、膝の上に置かれた抜き身の剣と乾いた布。耳を打つのは、複数の寝息に見張り役二人が発する話し声。少し遅れて、薪が燃える匂いが鼻を刺激し、ごつごつとした岩の感触が背中に伝わった。
―――憤怒に染まる彼は、いない。
自然に、ほっと安堵の息が漏れる。
そして、そう感じた自分自身をラムザは嫌悪した。
手入れがほぼ終わった長剣に視線を注げば、惨めな顔が刀身に映る。自分がしてきた行為を認めず、親友の慟哭から目を逸らし続けている最低な男の顔だ。
「ラムザ」
不意に頭上から声が降ってくる。一日一回は聞いているラッドの声。ラムザは顔を伏せたまま口を開く。
「なに?」
「剣の手入れが終わったなら、さっさと寝ろ。夜が明けたら山越えだぞ」
「わかってる」
「…なら、いい」
そばにいた一つの気配が遠ざかり、地面に横たわる音が微かに耳に届く。
ラムザは剣を鞘に納め、手布を背負い袋に押し込める。次いで、脇に置いていた外套を羽織った。
長く細い息を吐き、ゆっくりと瞼を閉じれば、浮かぶのはただ一つの顔。
―――ディリータ。
彼と離れ離れになって、半年という時間が経過した。
しかし、その存在は色あせることなく瞼の裏に焼き付いており、表情は最後にみた憤怒のまま。
生誕の言葉を贈る資格は、自分にはもはやない。
かといって、悔恨し謝罪しただけでは足りない。一度喪われた生命は、決して還ってこない。
彼の面影を忘れることはできず、その表情を和らげる方法も分からない。
ただ、心の片隅が呟き続ける。
咎の証である、その名前を。