誓いの剣(1)>>Novel>>Starry Heaven

誓いの剣(1)

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「はいけんのぎ?」
 音の羅列にすぎないディリータの言葉を、マーサは優しく意味あるものに言い直した。
「佩剣の儀。剣を帯びる儀式のことよ」
 ディリータは同じ言葉を呟き、首を傾げる。詳しい説明を求めて、じっとマーサの顔を見た。
「ベオルブ家直系の男子は一〇歳の誕生日に初めて剣を与えられるの。そして、以後、騎士になるための教養が本格的に始まるのよ」
「お披露目みたいなものだ。儀式には親戚一同が呼ばれるんだよ」
「おれたち使用人にも末席ながら参列することが許されているんだぜ。まあ、当日は忙しくてそんな暇はないかもしれないが」
「ザルバッグ様の時は、儀式の後に催される祝宴の下準備だけで一日は潰れたからなぁ」
 マーサに続いて、厨房で夕食の下ごしらえをしているコック達が次々に口を開く。じっと耳を傾けていたディリータは、理解できた事柄を言った。
「去年と違って、大勢の人がラムザの誕生日を祝うの?」
「そうね。そうなるわね」
 マーサは曖昧に肯定しつつ耐熱ミトンを着けると、オーブンの蓋を開けた。中から取り出されたのは、きつね色に輝くキッシュ。出来具合を確認すると、大皿のうえに盛りつけ、ナイフで八等分に切り分ける。香ばしいナツメグの芳香が厨房内をたゆとう。ディリータがうっとりと香りを楽しんでいると、マーサは大皿を持ち上げ、右脇にあるワゴンの上に乗せた。銀色のワゴンには複数のティーカップと取り皿、お湯がたっぷり入ったケトルとティーポットがあった。
「さ、できたわ。ディリータ、ラムザ様の部屋に持っていってくれる?」
「はい、わかりました」
 ディリータはこっくり頷き、ワゴンを押して厨房を出ようとする。遠ざかるその背中に、マーサは声をかけた。
「あんたの分もあるからね。ちゃんと食べなさいよ」
「わかりました!」
 やった〜と歓声を上げて、ディリータは厨房から飛び出ていく。
 年相応の子どもらしい反応に、マーサは小さな笑みを漏らした。


「よくお似合いですわ」
「本当に」
 軽くノックして扉を開くと、複数のお喋り声が飛び込んできた。普段の物静かさとは全く異なる様子を怪訝に思いつつも、ディリータは銀のワゴンを押して室内に足を踏み入れる。この部屋の主は、この時間にいるべき場所――机の前にはおらず、応接用の長椅子の横に立っていた。彼の周りでは、衣装箱を抱えたメイド達やお針子達が、休むことなく手と足と口を動かしている。
「あ、ディリータ!」
 目ざとくこちらに気づいた彼が、ふわりと笑う。周りにいたメイド達がすっと後ろに退く。扉の横にワゴンを止めたディリータは、目を丸くした。
 彼は、緑と白と黒が絶妙に配色された正装を纏っていた。上衣は鮮やかな緑色の燕尾服で、肩やカフスには金糸と黒で飾られている。下には白のスラックスを穿き、その裾から僅かに見える革靴は鈍い光沢のある黒。肩にかかる金髪は櫛と整髪料で丁寧に整えられ、金糸が織り込まれた黒の紐で一纏めに括られていた。
「これ、変じゃないかな?」
 当の本人は首を傾げて衣装を見回り、ディリータに視線を戻す。
 ディリータはとっさに言葉が出なかった。華美さと品の良さとを調和させた貴族的な衣装は、普段の簡素な格好よりも数倍、彼の容姿に似合っている。だが、同時に、その見慣れぬ格好は別世界の住人のように思わせた。
「ディリータ?」
 心配そうな呼びかけに、ディリータは我に返った。慌てて首を何度も縦に振る。少し大げさすぎる動作に何か感じるものがあったのか、彼は曖昧に笑った。
「では、ラムザ様。我々はこれで」
「何か不都合がありましたら、いつでもおっしゃってください」
 メイド達はラムザに一礼をし、大小様々な衣装箱を抱えて、順々に部屋を退出していく。扉がぱたんと閉められる。普段通りの静けさが戻ってきた室内で、ぽつりと彼は言った。
「こういう格好って窮屈だね。首がうまく曲げられないよ」
 慣れない手つきで立襟を留めているボタンを外そうとするものだから、ディリータは小さく笑った。
「でも、よく似合ってるよ」
「そうかな? 見せ物にされるみたいで、僕、いやだよ」
 襟元の二つのボタンのうち一つだけを外し終えたラムザは、不安そうに表情を曇らせる。ディリータは長椅子に座るように手ぶりし、扉前に置いていたワゴンを長椅子の側まで運んだ。午後のお茶を淹れる作業をしつつ、相手の気を紛らわせようと話しかける。
「それ、あさっての儀式の衣装か?」
「うん」
 彼はこっくりと頷き、はっと何かに気づいたように立ち上がった。
「手伝うよ」
 ディリータはかぶりを振った。
「いいから、そのまま座ってろよ。その服、汚すわけにはいかないだろう」
 ラムザはディリータの顔と纏っている衣装を何度も見比べ、やがて息を一つ吐いて座り直した。気落ちしているようにも、何かを考え込んでいるようにも見える。その証拠に、大好物であるマーサ特製のキッシュを小皿に盛りつけて前に置くも、表情に変化がなかった。
(これは、かなり深刻だな)
 ディリータは胸中で呟き、紅茶を淹れ始めた。なぜか四人分あるティーカップを不思議に思いつつも、二人分の葉をティーポットに入れ、熱湯を注ぐ。蒸らしの時間を利用して、再び彼に話しかけた。
「儀式…佩剣の儀って何をするんだ?」
「さあ、よくわからない」
「主役であるおまえが、分からないのか?!」
「うん」
「でも、段取りぐらいは聞いているんだろう?」
「簡単なことだけだよ。儀式は、獅子の間で正午から行われる。扉が開かれたら、壇上前まで歩み最敬礼をする。いくつかの形式が終わると、父さんから剣が授けられる。それを捧げ持ち退場する。ただ、それだけだよ」
 聞き慣れない固有名詞に、ディリータは首をひねった。
「獅子の間?」
「賓客を遇するための大広間だよ。東館にある」
 ディリータはうなった。
 ベオルブ邸は、便宜上、東西南北ごとに区画割りがなされている。ラムザの部屋がある南館は居館としており、ベオルブ家の皆が日常生活を過ごす場所だ。戦陣暮らしで留守がちな当主バルバネス・長男ダイスダーグ・次男ザルバッグも、本邸に帰れば南館の各々の部屋で休息をとる。
 西館の一角には使用人専用の離れがあり、ディリータの部屋もそこにある。以前、バルバネスが南館に部屋を設けようと申し出てくれたことがあったが、ディリータは固辞した。好意はもちろん嬉しかった。だが、承諾すれば、使用人として雇う形で養われているという現実を見失いそうになる。それが、なぜか、恐ろしく思えた。
 話を元に戻す。
 話題にのぼった東館は、迎賓館として利用されている。客をもてなすための場所であり、ディリータは足を踏み入れたことがない。用がないというのもあるが、遊び相手であるラムザが全く東館へ立ち入ろうとしない事が理由として大きかった。その彼が、よどみなく説明したのが奇妙なことだった。
「ラムザ、おまえ…」
 どうして、知っているんだ?
 しかし、ディリータの続きの言葉はノックの音で遮られた。部屋の主であるラムザが応諾する前に、扉が開かれた。
「ラムザ様、アルマ様が…」
「ラムザ兄さん、久しぶり!」
 メイドの口上を封じ込める勢いで、一人の少女がラムザの元へと駆け寄る。彼とよく似た顔は歓喜に輝いている。少女は、今年の春に修道院に入ったことで離れ離れになっていた妹、アルマだった。
「アルマ!」
 ラムザの表情も、ぱっと明るくなる。彼は長椅子から立ち上がり、突進してきた妹の身体を抱き留めて、本当に嬉しそうな笑い声を上げた。
「久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい。兄さんも変わりない?」
「…うん」
 十ヶ月ぶりの再会を喜ぶ兄妹を横で見ていたディリータは、二人分の紅茶をカップに注ぎ、一つはラムザの前に、もう一つはアルマの前に置いた。紅茶の香りに気づいたのか、アルマがくるりと見返った。
「ディリータも久しぶりね」
「ああ。相変わらず元気そうでよかった」
「元気よすぎて、こっちはこまる」
 とがった声が会話に乱入してくる。聞き慣れた声にディリータが振り返ると、扉にもたれて荒い息をしている少女がいた。妹のティータだ。乱れた栗色の髪をさっと手櫛で直し、眉尻をつり上げて、ティータは言った。
「急に『兄さんの部屋に行ってくる!』と言い出して、荷物整理を人に押しつけるなんて酷い!」
「アルマ、本当かい?」
 ティータの非難に、ラムザから送られる咎めの視線に、アルマは悄然と頭を垂れた。
「ごめんなさい。でも、早く兄さんに会いたかったから…」
「自分にできることは、きちんと自分でしなさい。ティータに甘えてたら、ダメだよ」
「…はい」
 数秒の静寂を経て、アルマはこっくりと頷く。相手の言っていることを理解するのに時間をかけ、納得できたら頷く。その所作は、先程のラムザと全く同じものだ。ディリータは「やっぱり兄妹なんだな」と感慨を抱いた。
「ティータ、ごめんね」
「もういいよ。アルマの気持ちも分かるから」
 ぺこりと頭を下げたアルマに、ティータは顔を上げるよう促す。
 どうやら丸く収まったようだ。
 ディリータは大皿に盛られたキッシュの量と四人分のカップが用意されている事の意味を理解し、
「折角だから二人ともゆっくりしていけよ。マーサ特製のキッシュがたくさんあるぞ」
 と、妹と妹同然の少女をお茶に誘った。
「え! で、でも、まだ荷物整理が…」
 逡巡するティータに、アルマがにっこりと笑った。
「いいよ、いいよ。後でわたしがするから。それに、キッシュは今しか食べられないよ」
 アルマはつかつかとティータの側に駆け寄って腕を引き、長椅子の真ん中に座らせた。ティータは戸惑うように斜め後ろの扉と右隣に座ったアルマの顔を交互に見つめる。
「僕たちじゃかたづけきれない量なんだ。捨てるのは勿体ないから、手伝ってほしい」
 机前に置いてあった椅子を引っ張り出したラムザが穏やかな声で頼み、ディリータは無言でティータの前にキッシュを盛りつけた皿を置いた。
「…はい」
 ティータは皿に添えていたフォークを手に取り、キッシュを口に運んだ。ゆっくりと噛みしめて、「美味しい」と呟く。フォークを駆使してあっという間にキッシュ一切れを平らげたアルマが、満足そうに笑った。
「やっぱりマーサのキッシュは絶品だわ」
「そうだね」
 ラムザは頷き、そして、ふと思い出したかのように言った。
「ティータは料理が上手だから、マーサから作り方教わってみたらいいと思うよ」
 四人分の紅茶を淹れる作業をしているディリータは、提案者の顔を凝視した。屈託のない笑顔は、ある可能性を考慮していないことを如実に示している。ディリータは一つ息を吐いた。
「ラムザ…お前、美味しいキッシュがいつも食べられると考えているだろう?」
「ダメかな? マーサが作るキッシュの具材は色々あるから、毎日でも飽きないと思うよ」
「それはそうだろうけど、キッシュというのは…そのけっこう難しくて…」
「失敗作も責任もって食べてくれるんですよね?」
 ディリータの懸念を、あっさりとティータが口に出した。
「パイ生地が黒こげだったとしても、具が生焼けだったとしても、食べてくれるんですよね? 捨てたらもったいないから」
「う、それは…」
 いつになく鋭いティータの瞳にラムザは狼狽し、助けを求めて視線を彷徨わせた。だが、黒こげや生焼けのパイ料理を食べたくないという思いは万人共通のもの。ディリータは紅茶の蒸らし具合を確認するという名目で視線をあわせないようにし、アルマは顔を若干伏せ、黙々と二個目のキッシュを食べている。
 孤立無援という熟語が、ラムザの脳内を駆けめぐる。
 どうやって上手い言い訳をしよう。
 なけなしの知恵をふり絞って彼が考えていたとき、ティータがくすくすと笑った。
「冗談です」
 ラムザの口から安堵の息が漏れる。
「でも、わたしには冗談に聞こえなかったよ。ティータ、半分は本気だったんじゃない?」
 含み笑いをしたアルマの指摘に、ティータはごく自然な動作で頷いた。
「うん」
 四人の少年少女は顔を見合わせる。
 たっぷり時間をかけて相手の表情を見つめ、同じ感情を抱いていることを確認する。
 数秒後、室内に笑いの花が大きく咲いた。

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