伝承(1)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第九章 伝承(1)

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 ゆるやかな起伏を有する丘陵地帯を南北に分断するように流れる、アルドラ川。その北側には聖堂や修道院などの教会の関連施設が整然と建ち並び、反対の南側には白い壁と煉瓦色の屋根で統一された街が広がっている。そして、その街を見守るかのように小高い丘の上にそびえ立つ城塞、ライオネル城。
 峠の頂上から広がる光景に、場の空気が一気に和やかになった。
「オヴェリア様、ご覧になれますか? 茂みが視界を遮っておりませんか?」
「大丈夫よ、アリシア。ちゃんと見えるわ。 綺麗な街並みね」
「実際に見るのは私も初めてですが、素直にそう思います」
 休憩がてら眼下の光景をみつめるオヴェリアに、アリシアとラヴィアンが付き従う。
 その少し離れた場所では、
「おおっぴらに街道を通れなかったから仕方ないとはいえ、ザランダから二十日以上もかかるとは予想外だった」
「途中で寄り道もしたし」
「クエッ!」
「ピィ!」
「アデルが余計なことを言うから、ボコが怒っているわよ」
「オルニスも」
「いて、いててッ! わかった、俺が悪かったから誰か止めてくれ!」
 チョコボ親子が交互に繰り出す嘴攻撃を受けてぴょんぴょん跳ねるアデルを、ムスタディオとマリアにイリアが、遠巻きに見守っている。
 そして、さらに離れた場所では、アグリアスとラムザとイゴールが地図を広げて話し合っていた。
「この峠を下りれば、ライオネルはもう目と鼻の先ですね」
「このまま何もなければ、一時間後には城下だな」
「そのとおりだ。最後まで油断せずに行こう」
 そう締めくくったアグリアスは地図をたたみ、己の荷物袋にしまった。王女の元へ歩み寄り、現状を報告して体調に異常がないか尋ねる。
 護衛隊長の生真面目なやりとりを眺めていたラムザは、「いてっ、いてぇ!」といまだに続くアデルの悲鳴を止めるべくチョコボを宥めようと歩き出したが、
「ラムザ」
 イゴールに呼び止められて、足を止めた。
 振り向けば、彼は真剣な表情でこちらをじっと見据えたかと思うと、無言で踵を返す。
 何か言いたげな態度に、ラムザは素直に彼の後をついていった。
「おかしいと思わないか?」
 イゴールが足を止めたのは、峠の登り口にさしかかった、降り口付近にいる皆とは十メートル以上も距離をおいてから。
 主語が省かれているが、ラムザは迷うことなく切り返した。
「北天騎士団のことか?」
「そうだ。奴らはなぜ襲撃してこないんだ? 聞けば、先月にゼイレキレの滝で戦って以降、姿形もみせていないそうだな」
「ああ」
「ダークナイト・ガフガリオンを取り逃がしたことから王女が護衛隊長と共にいることはとうの昔に知られているし、王家もゴルターナ公も頼れない王女が教会を頼ってライオネルに向かうことくらい、軍師なら推察できるはずだ」
「そうだね」
「戦後において北天騎士団はガリオンヌ領の安全保障と治安維持を目的としているから、おおっぴらにライオネル領に本隊を派遣することはできない。だから、少数精鋭の傭兵部隊が、王女を殺害するために襲いかかってくると俺は思っていた。なのに、ライオネルを目前にした今でさえ襲撃されておらず、平穏そのもの。どうしてだ?」
 二人の間に、しばしの沈黙が流れる。
 先に破ったのは、ラムザだった。
「君はどう思う?」
「考えられるのは三つ。ひとつは、王女殺害を諦めた場合だが、すでにゼイレキレの滝で実力行使に出た以上もはや後には引けないだろうから、現実的にはあり得ない。ふたつめとして、追っ手が俺達の現在地を掴めなかった場合だが、これも可能性としては低い。街道を通らず宿場町も最低限にしか寄らないと護衛隊長殿はずいぶん気を配っていたが、女子供だけという集団はどうしても目立つし、エルハイヤ村では一週間以上も滞在していた。その気と能力さえあれば足取りを掴むのは簡単だ。軍師にはその気があるし、その能力がない者達を派遣するほど軍師に人を見る目がないとは到底思えない。となれば、みっつめの、確実に俺達を捕らえるメドがたって闇雲に襲撃する必要がないというのが、一番可能性が高いと思う」
 緑の双眸は、まっすぐにライオネル城を見据えている。視線の意味を紐解くのは、ラムザには簡単だった。
「ライオネル城で待ち伏せしていると?」
「王女一行が確実に訪れる場所といえば、そこしかない」
 断固たるイゴールの口調にラムザは暫し思案を巡らしたが、やがて、軽くかぶりを振った。
「しかし、ラーグ公には枢機卿に王女の身柄を要求する正当な理由がない。また、枢機卿にそのメリットもない。教会が完全にラーグ公に与したというなら話は別だが、そんな思い切りの良い決断をさせるほどラーグ公の力が増しているという情報もない。それに…」
「それに?」
「たとえそうであっても、王女はライオネル城に向かうだろう。ラーグ公の不正を枢機卿に訴えることで教会をこの政争に介入させ、その仲裁でもって内乱を未然に防ぐために」
「…なるほど」
 イゴールは頷き、同時に安堵した。ラムザが王女と共に行動する理由が罪悪感の他にもあったことを知ることができたからだ。
「おーい、そろそろ出発するぞ!」
 ムスタディオが両手を振って呼びかける。
 その声に「わかった」と答えたラムザは、声を落としてイゴールに囁いた。
「だけど、君の言うとおり枢機卿は百パーセント信用できる相手じゃない。警戒だけは怠らないでくれ」
「わかった」
 イゴールが頷くと、ラムザは小走りにみんなの元へと駆け寄っていった。
 何気なくムスタディオと雑談し始めた彼の後ろ姿をみつめ、次いで、ライオネル城を見遣る。背中に感じる長弓と矢筒の重みを確かめてから、イゴールは前へ踏み出した。


 大きな期待とそれと同じくらいの不安を抱いて、若き機工士を加えた王女一行はライオネルに到着した。
 偶然にもゼイレキレの滝で北天騎士団の一隊を斥けてちょうど一ヶ月後にあたる、王国歴四五六年双子の月四日の午後のことである。
 市街に入るのに、王女達は苦労しなかった。市街に通じる城門は開かれており、その両脇に控えている衛兵達も「こんにちは」「ようこそ、ライオネルへ」と挨拶をするだけで身元を調べようとしなかったからだ。
 だが、ライオネルの領主にして枢機卿の重職にあるアルフォンス・ドラクロワに会うのはそう容易いことではない。地位が高くなればなるほど多くの義務を果たすことを要求されるために、その日常は多忙を極め、分刻みでスケジュールが定まっているものなのだ。
 オークス伯爵家の息女にしてルザリア聖近衛騎士団に所属する騎士であるアグリアスは、無論、そうしたことを理解していた。本来ならば、前もって使者をドラクロワ枢機卿に遣わし、目通りを願う旨を伝え、相手の承諾を得たのならば旅路の汚れを落とした上で訪問すべきなのだ。しかし、北天騎士団の追撃がいつかかるか分からぬ現状が、アグリアスにそれらの手順を全て無視させた。
「何者だ! ライオネル城に何用か!?」
 城の正門にたどり着くなり、鋭い誰何の声が城壁の見張り台から発せられる。
 アグリアスはすっと前に進み出た。左腕の盾を構え直し、高く掲げる。
「私はルザリア聖近衛騎士団所属の騎士アグリアス・オークス。神の御子・聖アジョラの救済を求めオーボンヌより参上いたした。開門を願う!」
 陽光を浴びて、盾に刻まれたルザリア聖近衛騎士団の紋章が鮮やかに浮かび上がる。直後、衛兵が慌てた様子で見張り台の内部に消えた。
 アグリアス達が無言でじっと待つこと、数分。
 やがて、城壁の上に先程の衛兵が再び姿を現した。
「聖アジョラの救済はすなわち猊下(げいか)の御心である。猊下の救済を求める者には皆等しく、ライオネル城の入口は開かれるであろう。開門せよ!」
 歯車が噛み合う音がしたかと思うと、木製の扉が内側からゆっくりと開かれていく。
 アグリアスを先頭に、オヴェリア達は二列に並んで順々に城門をくぐった。
 訪問者の全員が入城し終えたのを確認して、城門の脇に控えていた一人の騎士が装置のレバーを押し上げる。すると、いかなる仕組みだろうか、城門が人の手を借りずに自動的に閉まった。
「ライオネル城へようこそ。私は、ライオネル聖印騎士団所属の騎士アーベルト・カイトスと申します」
 思わず城門の方に振り返った一行に、温和な挨拶がされる。先程、見慣れぬ装置で城門を閉めた騎士からだ。視線を正面に戻したアグリアスは、騎士に一礼した。
「ルザリア聖近衛騎士団所属、アグリアス・オークスです。お初にお目にかかります」
「王家の方々を守護するのが役目であるルザリア聖近衛騎士団の騎士が、いかなる用件で教会の直轄領であるライオネルへいらっしゃったのでしょうか? 見たところ、明らかに騎士でない者も混じっているようですが」
 騎士の視線が最後尾のラムザから順に、イゴール、マリア、イリア、アデル、ムスタディオと巡らされ、最終的にはアリシアとラヴィアンを左右に従えたオヴェリアに固定される。
 アグリアスはさりげなく移動して騎士の視線をオヴェリアから遮った。
「申し訳ありません、事は非常に高度な政治的判断を要するのです。無礼を承知でお願いいたしますが、ドラクロワ枢機卿猊下に直接申し上げる場を頂きたく存じます」
 騎士とアグリアスの視線が交差する。
 無言の攻防は、騎士が微笑を浮かべたことで終わった。
「わかりました。ただ、猊下はいま、ある客人と会談されております。会談が終わり次第あなた方のことをお知らせしますので、暫し別室にてお待ちいただくことになると思います。それでもよろしいでしょうか?」
「承知しました」
「では、ご案内します。どうぞこちらへ」
 騎士の言葉に、アグリアスは無言で頷いた。

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