候補生達の円舞曲(1)>>Novel>>Starry Heaven

候補生達の円舞曲(1)

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 さっぱり、意味がわからない。
 目当ての魔法書数冊を図書室で借り、寄宿舎の自室へと戻ったイリアはそう呟いた。
 彼女の目の前には、白い封筒が五通。
 消印が一切ないことから外部からの郵便物ではなく、学府内から届けられた物だとわかる。差出人は全部異なり、かろうじて名前を知っている程度の男子候補生から。もっともイリアにとって親しいといえる男子候補生は四名しかおらず、残り四七名全員が数回しか話をしたことがない男子候補生に分類されるのだが。
 封を切ってみるも、どの封筒も中身は赤いバラを四隅にあしらったカードだった。メッセージ等、差出人の意図を推察させるものは一切書かれていない。
 イリアは封筒をまとめて机の上に置き、首を傾げた。
 差出人は異なるのに、中身は奇妙に一致する。
(何かの暗号かな?)
 寄宿舎を管理する初老の女性から封筒を受け取った状況を思い浮かべるも、心当たりはない。強いて言うなら、厳格な寮母が笑みを浮かべていた事くらいか。珍しいこともあるものだと目を見張ったが、なぜ彼女が笑っていたのか、よくわからない。
 そういえば、安息日の午前とはいえ普段なら数人の候補生がいるはずの図書室も、今日は閑散としていた。冬期試験終了直後だから皆試験勉強で疲れているんだと、入室時は特に気にも留めていなかったが。
 イリアは奇妙と感じた複数の出来事を思い浮かべるも、それらは封書の意図を確定づける材料としては役不足だった。
 腕組みをして室内を歩き回って考えるも、満足のいく答えはでない。
(わからないから、誰かに聞こう)
 イリアは封筒の束を手に持ち、コートとマフラーを羽織ると廊下へと足を向けた。暖房が効いた室内より数段寒いと感じる廊下を小走りに通り、一つの扉前で足を止める。
 扉の向こうからは一切物音がしない。誰もいないのかなと不安に思いつつも、ドアをノックした。
「マリア、いる?」
「…鍵はかけてないから、どうぞ。いま取り込んでるの」
 言われたとおりドアノブを引いたイリアは、絶句した。
 マリアの部屋は通例通り二人部屋だ。同室のサーラはおらず、部屋にいるのは深刻な表情をしている亜麻色の髪の少女だけだった。安息日の過ごし方は各候補生の自由だから、その事実は別に珍しくない。
 イリアが驚いたのはそれではない。
 右半分と左半分だけ全く異なる態様を見せている室内の状況に驚いたのだ。
 部屋の中央に設置された二つのベットのうち、左側はきちんと寝具が畳まれているというのに、右側は洋服が数着積み重ねられている。ベットの両脇にあるサイドテーブルのうち、左は水差しと洗面器以外の物が置かれていないのに、右はリボンや髪飾りなどの装身具の類が無秩序に置かれていた。そして、左の壁際に設置してある机の上には一切物が置かれていないのに、右の机にはサイドテーブルにあるべき水差しと洗面器が追いやられ、その周りには白い封筒の束をはじめとして様々な小物が所狭しと並べられている。
 室内は、部屋の中央に一本の線を引いたかのように整然と雑然が対比されていた。
「マリア、これはいったい何事?」
「ねえ、どっちがいいと思う?」
 マリアはイリアを一瞥し、ベットの上にある二着の洋服を指さす。示された洋服を見、イリアは更に驚いた。
 一方は、目にも鮮やかな青のサテン生地で作られたワンピース。丈は足首を隠すほど長いが膨らみがなく、両脇に膝下までの深さがあるスリットがある。袖はなく両肩丸出しで、身体のラインがはっきりとでる流行の型だ。横には暖かそうな青銀色のショールが置かれている。
 もう一方は、薄いピンク色の生地で作られた絹のドレス。こちらは身体全体を覆い隠すもので、襟は高く、スカートは腰の部分は引き絞られており、裾に向かって緩やかに膨らみをもたせている。襟元と両袖には、繊細な白のレースがふんだんにあしらわれていた。
 どちらも、士官候補生として生活するには絶対着用しない。
 社交界で活躍する貴族の令嬢が好みそうな、舞踏会用のドレスだった。
「なに、これ。舞踏会にでも出るの?」
「知らないの?!」
 意外そうな声音でマリアは尋ね返す。
 彼女がドレスを見比べている理由など思いつかないイリアは、素直に頷いた。
「明日、学内で冬至祭が行われるのは知っているでしょう?」
「うん。それは知ってる」
「夕刻からダンスパーティがあること、しらないの?」
「…はい?」
 全くもって、初耳だった。


 一年のうち最も太陽が出ている時間が短い日、冬至。
 この日を境に古い太陽は退き、新しい太陽が天を巡り出すという。
 古代に於いて、冬至は新年の始まりとされていた。
 アトカーシャ王家が統一国家を形成し、年号を改め新たな暦を導入しても、この風習は残った。
 太陽の死滅を惜しみ、再生を祝うための祭りは今もなおイヴァリース各地で行われている。それゆえ、学府内とはいえ、冬至祭を執り行うという発想自体は珍しいものではない。
 だが、
「どうして、そこでダンスパーティという発想になるの?」
 イリアにはそれが不思議でならなかった。
「礼儀作法の実地演習という名目よ。騎士を志すもの、いつ武勲をたて宮廷に呼び出されるかわからない。そのとき困らないよう学府内で舞踏会を再現して、最低限の社交辞令を学ばせようという狙いらしいわよ。まあ、形式上の話だけどね」
「そんなこと、誰もいってなかったよ?」
「イリア、頼むから少しは周りの候補生の動向を窺うようにしなさいよ。これは、アカデミーで代々続く行事よ。一週間ほど前から皆が、特に女子がそわそわしていたのに気づかなかった?」
「試験に集中していたから、わからなかった」
 予想通りの返事に、マリアは微苦笑した。
「じゃあ、このカードは冬至祭に関連するものなの?」
 イリアは手に持っていた封筒をマリアに見せる。中身を確認し、マリアは大きく頷いた。
「そうよ。ダンスの申込状よ。うわ〜、五人も。しかも、割と格好いい候補生ばかり! さすがねぇ」
 差出人を見てマリアは大げさに騒いでいるが、イリアは首を傾げた。
「ダンスの申し込み? わたしと踊って何が楽しいのかな…」
「これも知らないの? 冬至祭のダンスパーティは一種の恋愛イベントよ。この機会を利用して好きな相手をパートナーに選び、後で愛の告白をする男子が多いってもっぱらの噂よ」
 マリアはにやにや笑って答える。一方、ようやく意味がわかったイリアは狼狽した。
「そんなの困る! 相手のことよく知らないし、そんなこと考えたこともない!」
「それなら、カードを送ってくれた人以外の男子と踊ればいいの。それで『あなたの好意は嬉しいけど、お受けできません』という返事になるわ。パートナー選択の最終的決定権は女子にあるから、向こうは無理強いできないしね」
「でも、相手に悪いような…」
「好きでもないのにダンスを踊って期待させる方が、よっぽど悪いわよ。気にしない、気にしない。で、話戻すけど、どっちがいいと思う?」
 マリアは視線を戻す。
 イリアは二着のドレスとマリアを見比べ、薄いピンクのドレスを指さした。
「こっちの方がマリアに似合うと思う。青の方も捨てがたいけど、なんか派手そうだから…」
 マリアは一瞬きょとんとした顔をし、そして破顔した。
「あ、ああ。これは私用じゃないの。自分のはもう選んでいるから」
「じゃあ、誰の?」
「それはね…」
 マリアから耳打ちされた人物名は想定外だった。イリアは仰天する。
「それ、本当?」
「ええ。教官に頼まれたから。今日の正午過ぎにもってきてくれって。おそらく試着するのよ。ねえ、見てみたいと思わない?」
「思う。お化粧もしてみたいね」
「それに、髪の毛も結い上げてみたいと思わない?」
「そうね」
 二人の少女は顔を見合わせ、にっこり笑う。
 それは一六という年相応の可愛らしい笑顔だったが、どことなく不穏なものをも感じさせた。

◆◇◆

「では、報告してもらおうか」
 四名の男子候補生が席に着くなり、ジャック教官はそう切り出した。主語が省かれているが、今更確認するまでもない。この日、この時間に、男子候補生のみが教官の個室に呼び出される理由はたった一つしかないからだ。
 ラムザは左胸ポケットから白い封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
「不要でした。お返しします」
「俺も使いませんでした」
 続けてディリータも全く同じ封筒を重ねておく。
 教官から期待に満ちた視線を向けられたイゴールは、無言で上着のポケットから白い封筒を取り出し、更に上へと重ねた。
 がっかりしたように教官は肩を落とし、最後となった候補生の動向を注視する。アデルは申し訳なさそうに肩をすくめると、ズボンのポケットから封筒を取り出し、一番上にのせた。
 教官は全く使用された形跡がない四通の白い封筒をじっとみつめ、わざとらしくため息をつく。
「なんだ。全員揃って申し込んでないのか。不甲斐ない奴らだ」
「何処をどうやったら冬至祭にダンスパーティという発想に行き着くのか、正直僕には疑問です」
「一週間前言っただろう。社交性を身につけるという名目で行われる、息抜きだと。実際、冬至祭しか学内でおおっぴらに遊べる行事はない。たまには羽目を外せ」
 その説明は辛うじて理解できる、とラムザは感じた。
 士官アカデミーの指導は厳しく苛烈との評判だが、想像以上だった。
 朝から日が暮れるまで、座学と実技に追われる日々。
 毎日のように課される課題。
 一つでも不提出ならば教官から容赦ない叱責が飛ぶ。
 四ヶ月ごとに行われる試験。
 不可と評される五級を一個でもとれば、名誉挽回の機会さえ与えられずに退学となる。
 入学しての八ヶ月間は、脱落しないようカリキュラムをこなすだけで精一杯だった。
 だから、冬至祭にかこつけて遊ばせてやろうというアカデミーの温情は、悪いものじゃないと思う。
 だが、息抜きなら、何もダンスパーティでなくてもいいのではないだろうか?
 それに…。
「では、各指導教官が、担当候補生のパートナー選びに口を出す理由はなんですか?」
 ラムザの脳裏にあった疑問を、ディリータが呈する。
 ―――そう。それが、最大の謎だ。
 バラの絵を四隅にあしらったカードが同封してある白い封筒。
 一週間前、極秘に呼び出された四名がジャック教官から手渡されたものだ。
『士官アカデミーで唯一、かつ、公認の恋愛行事だぞ。意中の女子候補生に送っておけ』
 使用方法を聞かされ困惑している教え子達の反応を楽しむように、教官は言った。そして、こちらに更なる質問の時間を与えず『冬至祭前日の正午、必ず結果報告に来いよ』と厳命し、全員揃って個室を追い出された。
 寮への道すがら話し合い、「またジャック教官の悪ふざけか」と彼らは結論を出した。
 ところが、そうではなかった。
 寮の談話室には、一年次の男子候補生が全員いるのではないかと思えるほど人が集まっており、何やら話が弾んでいる。最初は翌日の学科試験の対策でも練っているのかと思っていたが、違った。彼らは白い封筒を手に、誰がどの女子候補生にカードを送るかで紛糾していたのだった。
(あのときの彼らには、奇妙な迫力があったな)
 試験の真っ最中だというのに色恋沙汰で盛り上がっていた同期生を思いだし、ラムザは胸の内で呟く。
 過去を顧みていたからこそ、彼は気づかなかった。
 質問に答える直前、教官がちらっとラムザに一瞥をくれたことを。
「それは、ある重要事項を決定するために必要だからだ」
「重要事項? なんですか、それは?」
「いいか、アデル。ダンスというものは男女別になって踊るものだ。だが、いかんせん、ここは女子がとにかく少ない。士官候補生養育という目的上、仕方ないことだがな。今期生七〇名のうち、男子は五一名、女子は一九名。正しい男女ペアは、どう考えても一九組しかできない。わかるか?」
 教官は同意を求めるように、候補生達を見渡す。
 単純な数の計算であり、幼年学校の生徒でもわかるはずだ。今更どうして同意を求める必要があるのか。その意義はどこにあるというのか。
 四名の候補生は、疑問に思いつつ教官の次の言葉を待つ。
「じゃあ残り三二名の男子は、どうなると思う? 一九組のカップルが輪になって踊っている間、指をくわえて見ているしかないと思うか?」
 その場にいる候補生は、全員首を縦に振った。
 踊る意思がない者は、カードを特定の相手に送る必要はない。
 彼らはそう解釈していた。
『社交ダンスは苦手だから、横で傍観している方が気楽でいい』
 ディリータは自室でそう漏らしていたが、全く同感だった。
「だが、そうは問屋が卸さない。一応、礼儀作法の実地演習だからな。必ず全員踊るんだよ。じゃあ、足りない女性の数はどうするのか…」
 教官は言葉を切って、またもや候補生達を見渡す。
 真剣な表情をしているが、こちらの反応を窺っているようにも思える。
 教官がこういう口ぶりをするときは、何かを企むか、あるいは、こちらが思いもつかない事を告げるときだ。
 嫌な予感を抱きつつも、四名は沈黙を保った。
「足りないなら補えばいい。どこから調達する?」
 質問に答えるよう目で訴えられる。アデルは思いついたことを口に出した。
「候補生の親族を、特に、妙齢の女性を重点的に招待すればいいのでは?」
「なかなか面白い意見だ。だが、残念ながらその案は使えない。学内は原則関係者以外立ち入り禁止であり、その方針は冬至祭でも変わることはない」
「では、アカデミーで働いている方を参加させればいいのでは? 女性の方も何人かいますし」
 ラムザの意見に対し、教官は頭を振った。
「確かにここで働く婦人は幾人かいるが、どの人もお前らより一回り、いや、二回り年上だぞ。奥様といえる相手とダンス踊って楽しいか? それに、何度も言うが、名目上は礼儀作法の実地演習だ。学生と教職員以外の参加は認められない」
 数秒の沈思の後、ディリータが口を開く。
「二年次の女子候補生を参加させる…ということはないですね」
「当たり前だ。二年次は現在、卒業認定試験の真っ最中だ。悠長にダンスなんぞ踊る暇があるか」
 だよなぁ、とディリータは頭をかきながら呟く。
「どうした。もう思いつかないのか? 至極単純なことだぞ?」
「…まさか」
 イゴールが低い呟きを漏らす。
「お、わかったか、イゴール。言ってみろ」
「冬至祭に参加資格があるのは、一年次の候補生と教職員のみ。そして、ダンスを踊るのは候補生のみだから、女性は一九名しかいない。それ以上増えようがない。逆に男性は三二名も余る。なら、その余った男を女性パートに振り分ければいい」
「正解だ」
 教官は大きく頷き、ラムザの方をちらりと見る。
 実に楽しそうな砂色の瞳を向けられ、彼は不安を覚えた。
(ますます嫌な予感がする)
「では、選別基準は…」
 ディリータの言葉は、ノックの音に遮られる。教官が入室を許可すると、扉がばたんと音を立てて開かれる。弾んだ声が室内に響いた。
「教官! 持ってきました〜〜!!」
 大きな手提げ袋を肩から提げた亜麻色の髪の少女は、ずんずんと室内へ進み、ラムザに近づく。小脇に紙袋を抱えている黒髪の少女も追随する。
 奇妙に迫力ある彼女たちに、四名の候補生は無言でその動向を見守った。
 先頭を歩く少女は手提げ袋から薄いピンクの洋服を取り出し、ラムザの両肩にあてる。
「よかった。ぴったりだわ」
「これなら調整する必要はないね」
「ええ」
 左右から視線が集中する。ラムザはゆっくりと下を向いた。
 目に写ったのは、ピンクの生地で作られた女性用のパーティドレス。
「予想どおり、マリアのサイズで丁度か」
 ラムザにとって絶望的な言葉が、ジャック教官から紡がれた。


「どういうことですかッ!」
 憤慨と苛立ちを隠さず、ラムザは椅子から立ち上がりテーブルを乱暴に叩いた。
 怒りの矛先を向けられた教官は、怯むことなく平然と答える。
「カードを特定の相手に送っていない候補生のうちから、女子パートを踊る男子を選ぶという伝統なんだよ。イゴールは身長がでかすぎて不向き。アデルは体つきから見るに堪えない。ディリータはダンス評価が四級と低い。男子パートをまともに踊れない奴に、女子パートを押しつけるわけにはいかない。となれば、残るはお前しかいないというわけだ」
「僕だってそんなに得意ではありません!」
「少なくとも、ディリータよりはましだ。また、僅差ではあるが、四名のうち最もダンス評価が高いのはお前だった。俺はわざわざ担当教官の所まで行って聞いてきたんだぞ」
「でも、あのような格好をする必要があるのですか!」
 ラムザは顔を真っ赤にして、後ろの一点を指さす。扉前に置かれている来客用のハンガーかけには、六着のコートの他にピンクのドレスがある。
 手提げ袋に入れたままだと皺になるから、とマリアがハンガーにかけたのだ。
 その彼女は長椅子に腰掛け、教官が煎れた紅茶の香りを楽しんでいる。一口口に含んで、ぽつりと呟いた。
「ピンクは嫌だった? じゃあ青いドレスの方がよかったかしら」
 ラムザの両肩ががくっと落ちる。
 論点が違うと彼が言おうとした刹那、イリアが更に追い打ちをかけた。
「でも、青だと身体のラインが出るから、ビスチェつけないと男の子だとすぐばれちゃうよ」
「なのよねぇ。さすがに、そこまで貸したくないし…」
「そうよね」
 同情と憐憫を帯びた三つの視線がラムザに注がれる。
 だが、当の本人は俯いていたため気づかなかった。
「気分の問題だ。女子パートを踊るならドレスの方がいいだろう。それに、化粧で顔を誤魔化せるから、恥にはならないぞ」
 慰めとは全くほど遠い感情から発せられた、教官の言葉。
 その瞬間、ラムザの頭の片隅にある何かが、ぷっつんと切れた。
 彼は無言で扉前へと移動する。
「お、おい、ラムザどこへ行く?」
「あんな格好するくらいなら、退学処分にでもなった方がマシです。僕は冬至祭を辞退します」
 絶対零度の声で宣言すると、ラムザはドアノブを押す。
 廊下へと一歩を踏み出そうとした瞬間、背後で強い魔力の波動を感じた。
「命ささえる大地よ、我を庇護したまえ 止めおけ! ドンムブ!」
 ざわりと両足に何かがからみつくような感触がはしる。
 ラムザはかまわず退室しようとするのだが、何故か足が動かない。まるで膝から下が凍結したかのように。
 首だけ後ろに向けると、ジャック教官が印を結んでいる。指を解き、凶悪そのものと言った笑みを浮かべた。
「折角用意してもらったんだ。試着だけでもしていけ。マリア、イリア、頼むぞ」
「はい、教官」
「お任せあれ」
 彼女たちは教官に向かって優雅に一礼すると、硬直しているラムザの両脇に立った。右脇をイリアが、左脇をマリアが抱え持ち、彼を続き部屋へと引きずっていく。
 腕や身体は動くのだが、まさか女の子を殴り飛ばす訳にはいかない。
 ラムザに抵抗の術はなかった。


 教官がハンガーに掛けてあったドレスと紙袋とをイリアに手渡すと、臨時の試着室となった部屋への扉は、ぱたんと音を立てて閉められた。
 暫くたつと、ドアの隙間から二種類の声が漏れだした。
 聞いているだけで可哀想に思える情けない悲鳴と、甲高い歓声だ。
「面白いことになっているようだな。着替えのシーンを見られないのが、実に残念だ」
 にやにや笑って、すけべ親父のような台詞を教官は言う。ディリータは小さく息を吐いた。
「いったい何を考えているのですか。教官」
「何とはどういう意味だ? さっきも説明しただろう」
「俺が聞きたいのは、そういうことではありません」
 鋭い目で睨み付けるディリータに、教官は表情を改めた。
「言ってみろ」
「ラムザの性格上、女装なんて受諾するわけがありません。魔法を使ってまで、彼に無理矢理ドレスを着せる理由は何ですか?」
「お前は何だと思う?」
 鋭い眼光を向けられる。戦闘訓練時に匹敵する峻厳さだ。
 ディリータは簡潔に答えた。
「ラムザを怒らせているように思えました」
 教官は目元を和らげ、短く賞賛の口笛を吹いた。
「見事な洞察力だな、ディリータ。ついでに聞くが、いまのあいつは心底怒っているか?」
「いえ。口調が丁寧だったので、まだかと」
「そうか」
 もう一押しする必要があるか、と教官は呟く。アデルは右手を挙げた。
「あの、俺にもわかるように言ってもらえますか?」
「すまないが、あいつを怒らせる理由は教育上の極秘になるので答えられない。お前らには、試着を終えたあいつに対し、感情を逆撫でるような事を次々と言ってもらいたい。具体的には『綺麗だ』とか『美人』とか『女の子みたいだ』とかだな。実際、あの容姿だ。嘘にはならないはずだ」
 それらは、ラムザにとって禁句にあたる単語ばかりだ。
 三名は、示し合わせたようにある出来事を回想する。
 あれは、一ヶ月くらい前に行われた、剣技の合同講義の時だ。
 ラムザに判定負けとなったある男子候補生が、負け惜しみのように「髪を伸ばすなんて女々しいにも程がある」と口走った。そのとき彼は何も言わなかった。
 だが、彼の逆襲は日をあけて決行された。
 次の講義で、彼はたった一撃でその候補生を打ち負かしたのだ。
 床に伏した相手を見つめる青灰の瞳は、見ているこちらが身震いするほど冷たかった。
 回想を打ち切った三人は、同時に顔を見合わせる。
「そんなこと言ったら、俺達の身が危ないのですが」
「安心しろ。おまえらに危険が及ばないよう配慮する。どうしても確認したいことなんだ。頼むぞ」
 懸念を軽く請け合い、教官は自分のカップを手に取り、冷めた紅茶の飲み干す。動揺など微塵もない洗練された仕草を、三名の男子候補生は黙って眺めていた。

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