旅立ち>>第一部>>Zodiac Brave Story

第十六章 旅立ち

>>長編の目次へ | >>前頁へ

 日の出前のほのかな明かりで、またたいていた星々が消えていく頃。
 一つの人影が、人気のない士官アカデミー構内を、足音を殺しつつも堂々たる足取りで歩いていた。肩から鞄をかけ、背中には布にくるまれた身の丈ほどの細長い物を背負っている。纏っている外套は、闇に沈む森のような深緑。
 人影は、勝手知った様子で楡の木が植えられた広場を横断し、白亜の石門へ歩を進める。が、あと五歩でたどり着くという距離で、その足は止まった。門に背中を預け、閉鎖するように片足をあげている別の人影がいたからだ。
「イゴール・フォルマート。どこへ行く?」
「………」
 沈黙が二人の頭上に翼を広げる。
 門の傍らにいる人物は足を地面におろし、立ちつくす少年に向き直った。
「指導教官が有する権限において訊く。お前は、こんな朝早くから人目を忍んでどこへ行こうとしている?」
「どいてください。俺はもうアカデミーに用はありません」
 押し殺した声での返事に、ジャック・デルソンは愉快そうに口の端をつり上げた。
「ほう、面白いことを言う。卵の殻を尻に被っているひよっこの分際で」
 言われたイゴールは肯定も否定もしない。一定の決意を秘めた表情で、面前の指導教官を見つめるのみである。
「一年前、お前は言っていた。『一人で戦える力がほしい。そのために剣と魔法の教授を願う』と。俺はその要望に応えてみっちり鍛えてきたつもりだ。だが――」
 ジャック・デルソンの左手がひょいと閃く。鞘走りの音にイゴールがはっとした瞬間、喉元に冷たい感触が生まれていた。
「まだまだ甘いんだよ。己の間合いを忘れて他人の間合いに踏み込むようでは、な」
 教官は剣を鞘に収める。
 イゴールは襟元に手をあてた。出血している箇所はなかった。もし教官が手加減をしていなければ、喉を串刺しにされていたはずだ。
「この調子だと、一人で戦場に臨んでも、得意の弓術を発揮する間もなく多数に取り囲まれて殺されるのがオチだ。そうなれば、さすがの俺も目覚めが悪い。悪いことはいわねぇから、さっさと寄宿舎に帰れ」
 教官は追い払うように手を振る。しかし、
「できません」
 イゴールはきっぱりと拒絶した。
「前線を退いて早数年の俺の剣に対応できなかった奴が、生意気いうな!教官命令だ。馬鹿なことを考えてないで寄宿舎に帰って寝ろッ!!」
「その命令、お受けできません」
 表情を崩さぬまま首を横に振る教え子を、ジャック・デルソンは睨み据えた。
「本気で言っているのか?」
「はい」
「今、お前が士官アカデミーを出奔すれば修練過程未了となり、士官アカデミー卒業の特権…無条件採用は受けられない。いや、むしろ脱落者とみなされ、騎士団への採用は絶望的となると言ってもいい。この一年間の修練を無駄にするというのか?」
「俺は、元々騎士になるつもりはありませんでした。ただ、生きる力を学ぶのに最適な場所が士官アカデミーだったに過ぎません」
「その『生きる力』がお前に備わっていないと言っているんだ!」
 ジャック・デルソンは一喝し、イゴールの襟元を掴んで引き寄せた。
「流れ者の生活は辛く孤独だ。糧を得るために己の生命を切り売りする日々。ならず者と勘違いされて石を投げられることもある。怪我をしても、病んでも、金と引き換えでなければ休む場所さえない。当然、待つ人も帰るべき場所もない。そんな生活に、図体だけが大人のお前に耐えられるとは思えん!」
 教官はぱっと手を放す。反動で数歩たたらを踏む教え子をじっと見つめた。
「理解できたならさっさと寄宿舎に戻れ。そして、あと半年待て。卒業資格さえ得れば、少しはマシな未来が望める」
 イゴールは俯き、両腕をだらりと垂らしていたが、
「いやだ」
 その口から、引きつった声が漏れた。
「俺はここで半年も耐えられない! 空っぽの部屋に、あの二人がいない現実に、知っていたのに告げる勇気がなかった自分の不甲斐なさに!」
 イゴールは身体を震わせて荒々しい呼吸を何度も繰り返す。
 何かを堪えるような態度に、ジャック・デルソンはわずかに目を細め、深い息を一つ吐いた。
「言っても無駄か。これで、俺の教え子は全員中途退学決定だな」
 最後の言葉に、イゴールは虚をつかれる。
「いま、なんと言いましたか?」
 顔を上げれば、教官は笑っていた。目尻を緩ませて、口元を綻ばせて。
「しばらく待てばわかる」
 その言葉の意味は、それから数分も経たないうちに知ることとなった。
「ったく、遅いんだよ!」
「仕方ないじゃない!サーラの目を盗んで部屋を抜け出すのに苦労したのだから!!」
「二人とも、夜明け前という今の時刻を忘れないでね」
 複数の声が耳を打つ。振り返れば、夜明け前の暗い青の世界に三つの人影が浮かび上がっていた。こちらに駆け寄ってくる。
 聞き覚えがありすぎる声に、耳に馴染みすぎた足音に、見慣れすぎた姿に、イゴールは思わず頭を抱えた。
「どうしてお前達がいるんだ!それに、その格好は何だ!」
「あなた、人のこと言えるの?」
 マリアがじろりとイゴールの鞄を睨みつけ、
「ドーターに旅立つ前のラムザと同じこと言ってるね」
 若干息を弾ませたイリアが、憂いのある微笑を浮かべる。二人とも、士官アカデミーで普段着用している平服ではなく、先だっての実地演習に参加していたときと全く同じ格好――戦闘をも考慮に入れた旅装姿をしていた。
「まだ二ヶ月ほどしか経っていないのに、随分昔のように感じるなぁ」
 普段と変わらない武闘着姿のアデルが、しみじみと言う。
 イゴールは同室者に不審の眼差しを注ぐ。イゴールにとって、この場にいるはずがない人物として真っ先に挙げられるのが彼だった。なぜなら―――
「お前さ、同じ手口が三度も通じると思っていたのか?」
 アデルはにやりと笑い、ズボンのポケットから茶褐色の小瓶を取り出す。イゴールは目を見張り、次いで懐をまさぐった。ガラスの硬質な感触が、指先に触れる。
「二日前アデルに調べるよう頼まれたの。睡眠薬とわかったから、似た形のものとすり替えた。あなたが持っている小瓶の中身は、ただの水よ」
 無臭無色な薬で助かった、とイリアは呟き、
「ついでに言えば、部屋中に散乱していた機械の山がたった三日間で綺麗さっぱりなくなれば、馬鹿でも身辺整理をしているとわかるぜ」
「どこか抜けているのよね、イゴールは」
 アデルとマリアが揶揄するように言う。
 イゴールはむっつりと押し黙った。これで、教官が正門前で張っていた訳も理解できる。自分の行動を予期したアデル達に頼まれたからに違いない。全てはお見通しだったというわけだ。いや、自分のことに手一杯で周りに目を配れなかっただけか…って、ちょっと待て。何故、彼らは、こんな朝早くに旅装姿でここにいるんだ。まるで、集団で夜逃げをするみたいではないか!?
 自分のことは棚に上げ、イゴールはこの場にいる人達を順々に眺める。
 アデルは白い歯を見せて笑い、マリアは明るい笑顔で頷き、イリアは穏やかに微笑んだ。そして―
「アカデミーにいたくないというなら、こいつらと一緒に行け。こいつらも、俺の指導はこれ以上必要ないと主張する罰当たりどもだ」
 なじるように教官が言う。しかし、その声には誇らしさと寂しさが籠もっている。
 イゴールが返答に窮していると、教官は懐から革袋を取り出し、その手に捻り込むように押しつけた。ずっしりと重い。疑問のままに紐解けば、中にはぎっしりと金貨が詰まっていた。単純に考えても、数ヶ月は遊んで暮らせる金額である。
「こんな大金、受け取れません」
 押し返そうとするイゴールに、教官はかぶりを振った。
「やるんじゃない。これは、お前ら四人に対する任務の依頼料だ。内容は『ラムザ・ベオルブ、ディリータ・ハイラルの両名を見つけ出し、ガリランドのジャック・デルソンの元に連れてこい』だ。任務完了はいつになっても構わん。引き受けてくれるか?」
 四人の少年少女は顔を見合わせる。ある感情が宿った表情をしていることを確認し、
「引き受けます」
「もちろん」
「当然だぜ!」
「喜んで」
 時を同じくして快諾の言葉を発した。
「イグーロス近辺ではアカデミーの情報網を駆使しても見つからなかった。他の地方に流れいてる可能性が高い。この広い国内で、二人の人間を捜すのは砂漠に落ちた真珠一粒を探すようなものだが、頼む」
「はい」
 イゴールは丁重に革袋を懐にしまい、教官に向かって深く頭を垂れた。
「一年間、ありがとうございました」
 はっと気づき、アデル、マリア、イリアも彼に倣う。
「ジャック教官、ありがとうございました!」
「ご指導、忘れません」
「ありがとうございます」
 彼ら彼女らはありったけの感謝を込めて言い、顔を上げる。教官はそっぽを向いていた。その横顔は曙光以外の影響で赤く染まっている。
「けっ、途中で修練を投げ出す奴らが何を言ってやがる。もういいから、さっさと行け」
「はい」
 イゴールは短く答え、黒髪の少年を窘めてから正門に足を向ける。
 含み笑いをしていたアデルは表情を真面目なもの改め、「行ってきます」と挨拶し、背を向けた。
 マリアは教官に向かって敬礼し、長い亜麻色の髪を翻して後に続く。
 最後となったイリアは白亜の校舎を一瞥し、教官に会釈し、駆け出した。
 朝日を浴びる四つの背中が、ガリランドの街に紛れていく。
 ジャック・デルソンは見えなくなるまで見送り、踵を返す。依頼完了を待つ場所、教え子達が帰るべき場所へと、彼は戻っていった。


「で、俺達はどこへ行くんだ?」
 ガリランド市街地正門前で、アデルが暢気に呟く。
「ドーターへ向かう」
 抑揚のない声で、イゴールが応えた。
「どうして?」
「ベオルブ家に一切関係のない、ラムザとディリータを知る人がいる」
「ドゾフさんね」
 マリアの指摘に、イゴールは首を振った。
「骸旅団員という過去の経歴から考えるに、世間のことも色々知っているだろう」
「ご教授を願う訳ね。下町固有の情報網と生きる力を得る方法について」
「そうだ」
 肯定しつつ、イゴールは不思議に思った。イリアも『生きる力』という言葉を口に出したことについて。聞いてみると、
「教官に怒られたの。『世間のことを何も知らないお前が一人で生きていけるとは思えない』って」
 との返事が返ってくる。
「俺も言われた。『一人で生きるというのは、お前が気楽に考えているほど甘くないんだよ!』ってな」
 教官の口調をまねて、アデルが言う。
 イゴールはマリアをみる。彼女は苦笑いをした。
「私も同じよ。『誠心誠意だけで世間は渡れないんだ』とも言われたわ」
「イゴールはどうだった? わたしたちが来る前に教官と話しているようだったけど」
 好奇心たゆとう三つの視線がイゴールに集中する。
 彼は暫し考え、あることに気づいた。愕然とした。
「教官は俺にも『一人で生きていけるとは思えない』と叱責した。ならば、ラムザとディリータはどうなんだ?」
「そのための『依頼』だと思うぜ」
 アデルはイゴールの懐を指さし、
「さっさと見つけ出して、彼らにもきっつい説経を受けてもらいましょう。私達だけが怒られるなんて不公平だわ」
 ことさら明るい口調でマリアが言う。イゴールは口元に微かな笑みを浮かべた。
「そうだな」
「そのためにも、先へ進もうよ」
 イリアの提案に、他の三人が力強く頷く。
 そして、彼ら彼女らは貿易都市ドーターへと通じる街道を歩き出した。
 離れてしまった彼らと、もう一度歩む道が交わることを願って。

第一部 持たざる者  完

>>長編の目次へ | >>前頁へ

↑ PAGE TOP