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第十一章 草笛

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 数歩先を歩く、金髪の少年。
 顔を上げて、まっすぐ背筋を伸ばし、面前に広がる道を一歩一歩踏みしめる。
 時折、彼は振り返る。
 まっすぐ向けられる青灰の瞳に、俺は笑みを返す。
 彼の願いは、俺の願いでもあることを伝えるために。
 俺自身の意志で、彼について行っていることを教えるために。
 彼は顔を綻ばせて前を向き、再び歩き始める。
 俺は彼の通る道をなぞっていく。
 ずっと、ずっと、そうしてきた。
 繊細ながらも強い彼の心に触れた、あの日から…。


「ディリータ!」
 呼びかけにディリータは顔を上げるが、前には誰もいなかった。
 どこまでも広がる草原と、地平線の果てまで続く一本の道、そして、白い雲が浮かんでいる青い空が彼の目に写る。
「少し、待ってくれよ!」
 そよ風に乗って背後から耳に届いた声。顧みれば、豆粒ほどの大きさの人影が五つ見えた。瞳を凝らしてみれば、仲間達だとわかる。足を止めて待っていると、人影は徐々に大きくなり、姿格好のみならず表情もはっきりしてきた。
 各々得意とする武器を携え、必要最小限の荷物しかもっていない旅装姿。差異はあれど、身軽さという点では何ら遜色のない彼ら彼女らの外見。
 しかし、全員が、数日前ここを通ったときとは明らかに異なる表情をしている。
 肩で息をしたり、息を整えるための深呼吸を繰り返したりと、疲れを顕わにしているマリアとイリア。非難めいた視線を向けてくるイゴール。いつになく険のある表情で、二人分の荷物を持っているアデル。彼と対照的に、ラムザは顔面から感情の色を一切消していた。
「足、はやすぎる…。お願いだから、もう少し、ゆっくり歩いて」
 そう言うマリアの呼吸は荒い。息も絶え絶えなイリアは地面に座り込んだ。
「急ぐなとは言わない。だけど、いざというとき全員が戦えないと意味がないぜ。少しは周りのことを考えろよ」
 アデルが苦言を呈する。軽い口調に反して、その黒瞳は鋭く厳しい。
 彼は左肩に掛けていた鞄から水筒を取り出し、イリアに手渡す。彼女は礼を言って受け取り、水筒の口を切っていた。体力の少ないイリアの負担を軽減するため、アデルは彼女の分まで荷物を背負っていたのだ。いつから皆との距離が開いたのか、またアデルがいつからそうしていたのか、まるで気づかなかった。
 ディリータは申し訳なさから、頭を下げる。
「すまない」
「少し休憩しよう」
 ラムザの提案は異議なく採用されたようだ。幾人かが、地面に腰を下ろす。
 ふぅと息をつく声。こくこくと喉が鳴る音。ごそごそと鞄の中身をまさぐる雑音。
 幾つもの物音を耳に入れていると、不意に左肩に手を置かれた。ラムザだった。彼は首を軽く横に振ると、座り込んでいるイリアの前に移動した。両膝を地面につき、真剣な表情で口を開く。
「左足、だして」
「え?」
「痛めているんだろう?」
 ディリータのみならず、全員の視線がラムザとイリアに集中する。イリアはじっと彼の顔を見つめていたが、鋭い青灰の瞳に観念したのかのように左の靴を脱いだ。生成り色のソックスには赤い斑点がついている。イリアが顔をゆがめてソックスを脱ぐと、足踏み部分には幾つものつぶれかけのまめがあった。
「なに、これ! どうして早く言わないの!」
 マリアの非難に、イリアは微苦笑する。
「後でケアルかければいいと思ったから」
「あとでって、いつだよ、それは! ラムザが休憩にしようと言わなければ、日暮れまで隠す気だったのか?!」
「ちゃんと言わないとダメじゃない! 回復魔法は万能じゃないといつも言っているのは貴女でしょう? 無理していると歩けなくなるわよ!」
 アデルとマリアから交互に説教され、イリアは肩を落とした。
 イゴールが鞄から気づけ薬代わりの蒸留酒を取り出し、封を切ってラムザに手渡す。彼は清潔な手布に十分それを染みこませると、傷口を拭う。染みるのか、それとも決して丁寧とは言えない拭い方ゆえか、イリアの口から呻き声が漏れる。
「ラムザ、もう少し、やさしく…」
「却下だよ。僕もマリア達と同意見だ。今回はたまたま気づけたからよかったけど。今度からは、ひどくくなる前に言うように」
 ラムザはイリアの言葉を畳みかけるように封じ込め、消毒を続ける。彼女は歯を食いしばって苦痛に耐えていた。まめから流れ出ていた血と膿を綺麗に拭いとると、彼は右手をかざし、おまじないをかける。みるみる傷が塞がり、薄皮が貼られていく。
「右足は?」
「右はだいじょうぶ」
「本当に? 大丈夫というならみせて」
「平気だったら」
「班長命令にしようか? 右足もみせなさい」
 ラムザの声音が厳しいものへと変化する。イリアは渋々右の靴も脱いだ。ソックスをも脱いだ白い足には、確かに出血している箇所はない。だが、左と同じ箇所にまめが数か所できていた。
「放っておいたら、これも潰れていたと思うけど。どこが大丈夫なんだ?」
 ラムザは穏やかな声で鋭い指摘をする。イリアは悄然と頭を垂れた。
「ごめんなさい」
「謝る対象を間違えないでほしい。アデルの言うとおり、急ぐ必要があるのは事実だ。だから、移動の障害となる事由は極力避けたい。一人が足を壊すと皆の足が止まる。それだけ遅れると言うことだよ。そのことを忘れないで」
 ラムザの静かな叱責は、ディリータの耳に痛かった。そもそもイリアが足を痛める原因を作ったのは、自分自身だからだ。
 骸旅団の本拠地と言われているジークデン砦までは、ガリラント経由だと徒歩五日はかかる。誘拐された妹を思うと、不安と焦りで居ても立ってもいられない。急ぐ気持ちばかり募り、気がつけば仲間の体力を考慮することもなく一人で突っ走っていた。その結果が、今、目の前に突き付けられている。
「これでよし、と。ソックスは着替えてくれ。これをそのまま履くと水虫になるからね」
 傷薬を塗り包帯を巻くという応急手当を終えると、ラムザは衛生上的確な指示を下す。イリアは素直に従っていた。汚れたソックスを鞄の奥底にしまい、予備を取り出して履き替える作業をする。
「それにしても、よく気がついたわね。いつわかったの?」
 マリアが感嘆交じりに訊く。
「少し前から足音が不規則になっていた。注意深くみたら左足を庇っていたから…」
「それでディリータを呼び止めたということか」
 イゴールの言葉に、彼は頷いた。
「鋭いわね。さすがは班長かしら」
「全くだな。こうしてみると、俺達の班長選びは正しかったわけだ」
「マリア、アデル、おだてても何も出ないよ」
 賛辞をラムザは苦笑いで封じ込め、微かな笑い声が二人の口から漏れる。
 そのやりとりを、ディリータはぼんやりと眺めていた。
 皆との距離はせいぜい十歩ほど。決して遠いものではない。足を前へ踏み出し手を伸ばせば届く距離だ。だが、なぜか、遠く感じられる。
 ―――…なぜだ?
「ディリータ、今度からお前は最後尾を歩け。また爆走されてはかなわん」
 イゴールの鋭い声が、物思いを中断させる。
 ディリータは沈黙を保つことで、同意に替えた。


 小休止の後、一行は再び街道を歩き始めた。
 イリアとマリアが並んで先頭を歩き、アデル、イゴール、ラムザの順に続く。ディリータはイゴールの指示通り、最後尾についた。前を歩く彼ら彼女らの口数は少なく、沈黙しがちだ。だが、数日前と異なり、鉛をのみ込んだような重苦しい感じはしない。草原の海を波立たせる風のように、穏やかで心地よい静寂だった。
 普段通りの歩行速度を保つよう心がけながら、ディリータは自分の心理状態を探る。
 先程感じた、仲間達への距離感。
 被膜がかかったように彼ら彼女らが霞んでみえ、自分の存在が曖昧なものに思えた。
 初めての、だが、どこか馴染みのある感情。思いつく限りの表現方法を総動員して、相応しい言葉を模索する。
『そいつはオレたちとは違う』
 酷薄な響きが脳裏に蘇る。同時に、しっくりくる単語を探し当てられた。

 疎外感と違和感だ。

 一緒に遊ぼうと差し出した手を、戸惑いながらも握りしめたラムザの小さな手。
 アカデミー入学当初から、身分を気にせず接してくれたイゴール達。
 身分の違いなど生まれた家の違いくらいにしか思っていない、ジャック教官の指導。
 ラムザとの出会いが、士官アカデミーで過ごした日々が、心の根底にあった平民意識を薄くしていった。
 だが、傍若無人なアルガスによって、現実を思い知らされる。
『やっぱり平民は所詮、平民だ。貴族になれやしないッ!』
 そうだ。前を歩く仲間達は、皆、貴族階級に属する者。
 自分は、平民にすぎない。
 それは、己の力では覆しようのない真実だ。

 では、平民と貴族の違いは、一体どこにあるのだ?

 階級制度によって分別された人。
 大多数の従う者達。少数の従える者達。
 だけど、同じ人間同士。身体を流れる血も、同じ色。
 嬉しいときには笑い、悲しいときには泣き、悔しいときは唇を噛みしめる。
 心の動きも、感情の表れも、何ら変わりはない。
『ディリータは親友だ。兄弟みたいにして暮らしてきたんだ!』
 ベオルブという上流貴族に属するラムザも、そう言ってくれた。
 身分の差があれど、お互いに違いはないのだと。
 同じ道を共に歩むことができるのだと。
 実際、ずっとそうしてきた。
 八年前彼と出会い、その心の有り様に惹かれたときから。
 その過去も、そして、彼と一緒にいる今も、嘘偽りのない真実。

 『だからこそ、目を覚ませ。友だちごっこはもうおしまいだ』
 “ごっこ”という言葉で片付けられるほど、軽いものじゃない!

「ディリータ」
 俯き加減になっていた顔を上げると、数歩先に金髪の少年がいる。
 彼は身体ごとこちらに向き直り、まっすぐ自分を見つめていた。
 心配そうに、表情を曇らせる。
「なんだか顔色悪いけど、疲れた?」
「へいきだ」
「でも、さっきから遅れがちだよ。」
 言われてみれば、目の前にいるのは彼だけだ。他の仲間達はひとっ走りしないと追いつけない距離で止まっている。面前の彼と同じように、こちらを見遣っていた。
「大丈夫だ。時間が惜しい、早く行こう」
 ディリータは笑みをこしらえ、歩き出す。
 前にいる彼の横を通り過ぎ、前方にいる仲間達の下に向かう。
 すれ違う瞬間、彼が自分の心の内を推し量るように凝視しているのが分かったが、今は何も言いたくなかった。


 太陽が西の端に傾き、空が青色から橙色へと変化し始めた頃、一行は街道脇にある停泊所にたどり着いた。
 停泊所。
 主要街道沿いに、一定距離をあけて設置されている公営の宿泊施設である。
 宿泊施設とはいっても、温かい食事が出るわけではない。また、柔らかいベットもない。雨水を蓄えた井戸と無人の建物がぽつんとあるだけだ。煉瓦造りの建物の内部には一切の家具はなく、屋根と壁に囲まれた空間があるのみ。実質上、廃屋と言ってもいい。しかし、旅をするものにとっては屋根のある所で眠れるだけでも十分な事だし、扉の鍵を掛ければ夜盗やモンスターの襲撃を気にすることもなく眠れる。しかも、使用するのに料金はいらない。街道を所領とする貴族達の全面的出資によって維持・管理されているからだ。実にありがたい施設だった。
 移動性を重視した結果、野営用のテントを携帯していない一行は、ここで一夜を明かすことにした。骸旅団が跳梁跋扈しているゆえか他の利用者はおらず、幸か不幸か貸し切りとなった。
 ディリータは草むらに腰掛け、夕焼け色へと変化していく空を眺めていた。
 普段ならあり得ない所在のなさ。だが、仕方ない。野営の準備をしようにも、なぜか、仕事が一切回ってこなかった。
 井戸水をくむ作業をしようと思えば、イゴールに先を越された。食事の支度をしていたアデルを手伝おうとすれば、邪険に扱われる。停泊所の中を掃除しようと思い立てば、すでにマリアとイリアが行っていた。薪を拾いに行こうとすれば、すでにラムザが行っているとアデルから告げられる。終いには、
「暴走ディリータ君。爆走しっぱなしだと、過労で倒れるぞ」
「そうそう。少しはやすんでね」
「でも、どこまで走るか見てみたい気もするわね」
「お、それ面白いな。何処までもつか賭けるか?」
「誰が判定する? 確かめるためには、ディリータと一緒に走ることになるぞ」
「うへぇ、それは勘弁してくれ」
 と、自分をだしにからかわれる始末。揶揄する仲間達から逃げるように移動し、ようやく落ち着いたのが、建物の裏手に広がる草原だった。
 そこは、空も、大地も、目に写るもの全てが夕焼け色に染まった幻想的な世界。
 時折吹き込む夕風が、草花を揺らし、身体をも優しく撫でていく。
 左手首に視線を向ければ、ブレスネットが袖から顔を覗かせていた。ティータの好きな色の一つでもある、オレンジ色の刺繍糸で編まれたもの。あしらえたように、今の空と同じ色だった。
「きれいだな。ティータもどこかでこの夕日を見ているのかな…」
「大丈夫だよ、ディリータ。ティータは無事さ」
 独り言に返事が返ってくる。
 ディリータが顔だけ後ろに向けると、煉瓦の外壁近くにラムザがいた。彼はゆっくりと近づいてきて、隣に座ってもいいかな、と目で尋ねてくる。
 ディリータは首を縦に振った。
 彼は隣に腰掛けると前を見つめ、目の前の蕩々たる世界を、自然が織りなす芸術をその瞳に映す。
 何も言わない。何も訊こうとしない。
 ただ、側にいるだけだ。
 それだけでほっとするのは、どうしてだろう。
「違和感は感じていたさ。ずっと前からな」
「アルガスの言ったことを気にしているのか?」
 ラムザの指摘は、当たりでもあり、外れでもある。
 自分の立場を、そして、皆との違いを再認識させられただけだ。
「どんなに頑張ってもくつがえせないものがあるんだな」
「そんなこと言うなよ。努力すれば…」
 口ごもり、顔を背ける気配がする。
 自分の状態はよく分かっている。恐らく酷い顔をしているのだろう。だが、今は取り繕うだけの心のゆとりはない。隣の彼に、全てを吐露してしまいたかった。
「努力すれば将軍になれる? この手でティータを助けたいのに何もできやしない…。俺は“持たざる者”なんだ」
「………」
 不意に風が鳴った。激しい向かい風に吹かれ、草花が激しく揺れる。
 冷たい夕風がディリータの身体を冷まし、落ち着きを取り戻させる。
 右を向けば、ラムザは無表情で前を見つめている。
 その瞳はガラス細工のように硬く、目の前の景色を何一つ認識していなかった。
 ディリータは目についた草を一本引き抜く。爪先で小さな切れ込みを入れ、隣の彼に語りかけた。
「おぼえてるか? 親父さんに教えてもらった草笛を」
 口に当てて息を吹き込む。奏でるのは久しぶりだったが、あのときと同じ澄んだ音が鳴った。ラムザも手頃の草を抜いて口にあてる。自分のより数段高い音が辺りに響き渡る。彼の顔に浮んだ微笑みが、暗黙のうちに告げていた。
 もちろん覚えているよ、と。
 ディリータは再び草笛を奏でる。数秒後、別の音が追随する。
 二つの素朴な音色が一つに交じり、夕闇色に染まる世界に流れていった。

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