襲撃(1)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第九章 襲撃(1)

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 早春に降り注ぐ小雨は無慈悲で、この身を無数の針で突き刺すようだ。
 雨よけの外套を通り越して冷気が伝わり、身体を冷ましていく。かじかむ両手に息を吹き付けてみるも、暖かくなるのは一瞬のことでしかない。だが、それでもしないよりマシだ。アデルはかすかなぬくもりを求めて、何度も繰り返した。
「大丈夫か?」
 気遣いの言葉をかけてくれたディリータも寒いのだろう。唇が青ざめている。
「大丈夫だ。正直に言えば、さっさと動きたいけどな」
 アデルは仕方ないといわんばかりに肩をすくめて、後方に視線を送る。そこには、木の枝と枝とを撥水性の布で結んだ狭い簡易屋根の下、寒さに震えているイリアと、飛び入り参加のアルガスに作戦を説明しているラムザがいた。イゴールとマリアは偵察のため先行しているので、この場にはいない。
「お前も偵察に行けばよかったのに。そうすれば、身体を動かせて寒さも苦にはならないだろうに」
「仕方ないだろう。偵察役のイゴールがマリアを指名したんだから」
 俺も行きたかったけどな、とアデルは内心付け加える。だが、イゴールは「アルガスの様子がどこかおかしい。注意してみてろ」という奇妙な注意を彼だけに残し、マリアをパートナーに選んで目標地点の灯台跡に向かった。不本意ながら居残り班にまわされ、寒さに震えながら待機し始めてかれこれ二十分が経過しようとしている。
「珍しい事もあるよな。あいつ、大抵お前を指名するのに。さては、とうとうお払い箱だな」
「ちぇ、言ってろよ」
 ディリータに反論する代わりに、アデルは足下の小石を蹴飛ばす。それは、小さな飛沫をあげて水たまりに落下した。
「アデル」
 振り返れば、ラムザがこちらに駆け寄ってくる。外套についているフードを被っていないせいか、彼の金髪がアデルの目についた。夜明け前の暗い青の世界でもはっきりと見える。
「見張り、交代するから向こうで休んで。ディリータも」
「説明はすんだのか?」
 ディリータの質問に彼は小さく頷く。
「一通りは。砂ネズミの穴ぐらと同じになるって説明したら、敵を食い止める役を引き受けてくれたよ」
「いいのか?」
「大丈夫。だいぶこれの扱いにも慣れてきたから。イゴールが調整もしてくれたしね」
 ラムザは微かに笑って左手に持っているものを二人に見せる。それは、真新しい長弓。今回の作戦案を申請したとき、北天騎士団から配給された物だった。二つ届けられ、イゴールがマリアとラムザを呼び出し、それぞれの癖や力に合うよう弦や弓の張り具合を調整していたのをアデルは思い出す。
「そうだな」
「アデルにボウガン持たせるよりはマシな援護射撃を期待できそうだな」
 手痛い指摘にアデルは一瞬声を詰まらせる。彼はにやにや笑っているディリータに向き直った。
「今日はやけに俺につっかかるなぁ、ディリータ」
「気のせいだろう」
 素っ気ない言葉だが、彼の口調はあくまで楽しげだ。目元が笑っている。暇つぶしがてらにからかわれているんだな、とアデルは判断した。
「もう勝手にいっててくれ。どうせ、俺だと味方に当てかねませんよ、っと。ラムザ、俺退散する。こいつは任せた」
 顎でディリータをさしてアデルは二人に背を向けた。そのまま振り返らず、雨宿りをしているイリアとアルガスの所へ駆け寄る。二人は、三人がやっと座れるスペースしかない簡易屋根の下、近すぎず遠からずという微妙な距離を開けて座ってた。双方無言で寒さに耐えているようだった。
「あら、おかえりなさい」
 イリアが横にずれてアデルが座れる空間を作る。好意をありがたく受け取り、腰を下ろした。雨に打たれない分、だいぶ寒さが和らぐ。口から出る白い息を両手に吹きかけ、マッサージをすると徐々に感覚が戻ってきた。
「…なあ」
 右隣のアルガスから発せられた物憂げな呼びかけ。アデルは正直驚いた。アルガスが自分に声をかけてくるのは珍しかったからだ。
「あれ、ラムザの髪を留めているあの不格好な紐は何だ?」
 アルガスは自分たちに背中を見せているラムザとディリータの方へ視線を送り、ラムザの頭の一点を指さす。量の多い金髪をうなじで束ねているのは、先日マリアが彼に無理矢理押しつけたリボンではなく、手作りとおぼしき濃紺の細紐だった。極細の刺繍糸を三つ編みに編み、両端に無色透明の小さなガラス玉をつけた飾り紐。
 手作りゆえのいびつさはあるが、不格好と評する程ではない。アデルはそう思うのだが、人によって違うのだろうか。
「あぁ、あれは…」
「ラムザとディリータの妹さん達が作ったお守り。無事に帰ってくるように願いを込めて作ったって言ってたよ。ディリータも貰ってて、確か、橙色の刺繍糸で作られたブレスネットだったよ」
 イリアが先にアルガスの質問に答える。アデルは、一つの疑問と共に二日前の出来事を思い出した。


「兄さん、まってぇ!」
 最後にラムザがイグーロス城への馬車に乗り込もうとした時、乱暴に玄関の扉が開かれる音がした。アデルが窓から外をのぞき込むと、そこから姿を現したのはアルマとティータだった。二人とも顔が青ざめており、目の下に濃い隈をこしらえて目は真っ赤だった。昨日の晩餐のときとは明らかに様子が変わっていた。
「ちょっとすまん」
 奥に座っていたディリータは一目で尋常でない妹たちを察知したのか、中腰で立ち上がり、二日酔いに苦しむイリアに席を譲ると外に降りていった。馬車に残された四人はそれぞれ見える範囲で様子を窺う。
「二人ともどうしたんだ? 目が真っ赤じゃないか!」
「一体どうしたんだ? 昨日はちゃんと寝たのか?!」
 ラムザとディリータの大声にイリアが抗議の呻き声をあげる。だが、あいにくと外にいる彼らには聞こえていないようだった。
「あのね、ティータが渡したい物があるって」
 そう言ってアルマは横に視線を向ける。ティータはためらうようにアルマに視線を送り返す。暫し、彼女たちは目と手振りで無言の会話をする。二三のやりとりの後、決着がついたのだろう。ティータはスカートのポケットから二つの物を取り出した。腕の長さほどある長い紺の細紐と輪っかに結ばれた橙色の細紐だった。ティータは、ラムザには紺色のを、ディリータには橙色のを差し出す。二人は無言で受け取り、当惑気味にそれぞれの手にある紐を眺めていた。
「無事に帰ってこれるよう願ってアルマと一緒に作ったの。一日しか時間がなかったからちょっと雑になっちゃったけど。よかったら受け取って」
「兄さんのは髪を括るのにも使えるよう長めにしたの。ディリータのはブレスネット。全ての発案はティータよ」
 同系色の極細の刺繍糸を束ね、ほつれないようきつめに三つ編みがされている細紐。ディリータのブレスネットの分だけ作るのも数日はかかりそうな細かい作業。出発までに完成するよう、二人が徹夜で編んでいたのは容易に推察できた。
「…どうして?」
 ラムザの口から疑問の言葉が呟かれる。ティータは微笑みを浮かべて答えた。
「ラムザさん、お墓で会ったとき元気がなかったから、何か悩み事があるのかなと思って。私たちには戦いのことはわからないけど、でも、元気づけられたらいいなと思ったの。兄さんは無理しないでって言っても無茶ばかりするから、それがお目付役代わりになれば」
 二人の兄はこの言葉に反論せず沈黙を保つ。馬車の四人はお互い顔を見合わせ、含み笑いをした。ティータの言は、まさに彼らの本質を突いているといえた。
「兄さん、気に入らない?ディリータまでなんで黙っているの?」
「もしかして、ふたりとも、まだ怒ってる?」
 おそるおそる反応を待つ妹たちに、先に答えたのはディリータだった。
「いや、ありがとう。嬉しいよ」
 彼は満面の笑みを浮かべて左手の手袋を取り、腕にブレスネットを通した。そして、ティータ、アルマの順に感謝を込めて抱きしめた。
 一方、ラムザは紐を握りしめたまま長い時間黙っていたが、やがて吹っ切れたように笑った。
「ありがとう」
 ラムザは髪を束ねていた藍色のリボンを取り、紺の紐で括り直す。手で束ねられた金の髪に紺の紐が幾重にも巻かれていき、最後には表で括られる。その過程を贈り主であるティータは目を細めて見つめていた。
「ねぇ、兄さん。そのリボンもう使わないの?」
 ラムザの手に残ったリボンを見つめて、アルマが尋ねてくる。どこか含みのある口ぶりに、彼は慎重に答えた。
「そうなるけど」
「じゃあ、それ、ティータにあげて!」
「ええ!」
 驚きの声をあげたのはラムザではなく、ティータだった。
「何を言うのよ!アルマ!」
「リボンほしいっていってなかったっけ、前」
「言ってないわよ!」
「嘘つきぃ。確かに学校で言ってたよ。『いいなぁ、私もほしいなぁ』って」
「あれはちがうでしょ!」
「なにがちがうって言うのよ! 意味は一緒でしょ!」
 アルマとティータは向かい合って口論を交わす。とっくみあいの喧嘩になりかねい勢いに水を差したのは、ラムザの吐息だった。
「わかったから。アルマ、喧嘩はやめなさい」
「はい、兄さん」
 アルマがあっさりと矛先を収める。妹の見事な変わり身に不気味なものを感じつつも、ラムザはティータの手のひらにリボンを置いた。
「ティータ。使い古しだけど、よかったら貰ってやって」
「ありがとうございます」
 藍色のリボンを受け取ったティータは頬を赤く染め、はにかむような笑顔を見せる。
「ラムザって意味わかっているのかしらね…」
 その笑顔を見たマリアが、独り言のように呟いた。
「わかってない方に全財産賭けてもいいよ」
 小声でイリアが返す。呆れはてた口調だった。
「私もそう思うから、賭にはならないわね」
「そうね、つまらないわ」
 意味がわからないアデルとイゴールは、無言で顔を見合わせた。


「そういえば、あのときの意味ってなんだ?」
「なに?」
「ラムザがリボンをティータちゃんにあげた意味だよ。何か裏の事情でもあるのか?」
「あなたもラムザと同類ね。自分で考えなさい」
 イリアはため息をつき、答えをごまかした。考えてもわからないから聞いているんじゃないかとアデルが反論しようとしたとき、反対から底冷えのする声がした。
「平民の娘がいかにも思いつきそうな愚かな事だな。しょせん夢幻にすぎないものを」
 ぎょっとした。視線を向ければ、アルガスは激情のこもった瞳でラムザとディリータを見つめている。その視線に陰鬱なものを感じ、アデルは「様子がどこかおかしい」というイゴールの注意を思い出した。
 アルガスの視線に気づいたのか、ラムザとディリータがほぼ同時に振り返る。ディリータだけがこちらに近寄って三人の顔を見渡した。
「何かあったか?」
「いや、何でもない。それよりイゴール達はまだか?」
「もうすぐ帰ってくるはずだ。そろそろ移動できるよう準備しとけよ」
「わかった」
 アデルはごまかせた事に安堵しつつ、それからも、気取られぬ程度にアルガスの様子を探っていた。


 最も、長時間そうする必要はなかった。
 数時間後には、目を合わせるだけで吐き気がするような心情を彼に抱いたからだ。

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