束の間の休息(3)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第八章 束の間の休息(3)

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

 ベオルブ家。
 イグーロス北部にひろがるバルカ半島を領地とする貴族。
 ガリオンヌ地方の領主・ラーグ公爵家の家臣。
 アトカーシャ王家にとっては陪臣にあたり、貴族階級の中では高い地位にあるとは決して言えない。
 だが、その家名はイヴァリース国内に知れ渡っている。
 数々の戦争・内戦で、一族が積み重ねてきた多大な武勲ゆえに。王家に対する比類なき忠誠心ゆえに。かの一族が輩出してきた、誇り高き心を持つ騎士達への畏敬ゆえに。
 だからこそ、人々は『武門の棟梁』として称え、敬ってきた。


「見えてきたぞ、あれがベオルブ邸だ」
 馬車の窓際に座っていたディリータが外のある一点を指さす。向かいに座っていたマリアは彼が指さす方向に視線を向けた。彼女の目に映ったのは常緑樹の梢だけ。だが、馬車が進むにつれて白いものが時折ちらつく。よく目をこらせば、それは尖塔のてっぺん部分だった。
「塔まであるのか? 邸(やしき)というよりは城だな」
 アデルが感嘆するように言う。マリアも彼と同感だった。
「元々は、四百年ほど前にロマンダ国に対する防衛のため建てられた城塞だ。ベオルブ家の始祖がこの地方の反乱を収めた折に、時の王から褒美として下賜されたんだ。生活しやすいよう内部は改装されているが、建物の基礎部分はそのまま維持されているから、城と思われても仕方ない」
「詳しいのね、ディリータ」
「親父さんに…バルバネス様に聞いたからな」
 イリアにそう答えると、ディリータは窓の外へと視線を向けた。遠い過去を懐かしむようなしぐさ。彼と天騎士・バルバネスとの関係を多少は聞き及んでいる四名は、彼の回想を邪魔しないよう沈黙を保った。
 やがて、常緑樹の並木道が終わり、馬車はカーブの多い坂道の登っていく。窓に視線を固定したままだったマリアの目に、小高い丘の頂にそびえ立つ白い建造物がみえだした。


 馬車は二回ほど石造りの橋を通過し、やがて止まった。御者が到着を告げる。扉の近くに座っていたイゴールが無言で押し開く。候補生達は手前から順次降りた。
「お待ちしてました」
「いらっしゃい、みんな」
 二種類の歓迎の言葉がかけられる。発生源は、成人男性の二倍程の高さはある門扉の前にいる二人の人物だった。一人は、彼らが馬車に乗る前にさんざんその行方を捜していた金髪の少年。もう一人は、イヴァリース国内では珍しい黒い肌をした中年の女性だった。
「ラムザ、先に帰っているならそう言えよ! 俺たち、イグーロス城内を探したんだぞ!」
 アデルが彼の顔を見るなりくってかかる。ラムザは彼の剣幕に怯み、そして、軽く頭を下げた。
「ごめん。途中でアルマ達…妹たちに会って、そのままこっちに来たんだ。城に戻るよりそのほうが早かったから」
「どこ行ってたんだ?」
 ディリータが苛立ちを隠さずに、疑問を投げかける。普段の彼からはまず出ない詰問口調。ラムザは心配をかけたことに対する申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。答えるべきか迷う。だが、答える義務があると彼は思い直した。
「父さんに会いに、湖へ」
 ディリータのみならず、四名の候補生達も彼の言葉に納得した。だが、彼に対する不満は当然まだ胸のうちに燻っている。遠慮のかけらもなく、彼らはそれらをはき出した。
「ちゃんと行き先くらい言ってから外出しろ」
「次からは、書き置きくらい残して行ってほしいわね」
「同感ね。班長に突然行方をくらまされると、とっても困る」
「班長代理は、もう、ごめんだ」
 ディリータはまるで子どもに向かって言うような説教をし、マリアは愚痴を言い、イリアは軽く非難し、イゴールはぼそりと呟く。アデルは右手の人差し指を一本伸ばした。
「これで、一つ貸しだからな。そのうち、二倍にして返してもらうぜ」
 彼は、さも当然のように通告する。
 ラムザはそれぞれの反応に安堵し、再度小さい声で謝罪した。
「ラムザ様、皆様をご案内しませんと。そろそろ日も落ちます」
 穏やかな笑みを浮かべて、黒い肌の女性が指摘をする。
「あ、そうだね。じゃ、みんな中へどうぞ」
 ラムザが門扉を押すと、音も立てずに扉は左右に開いた。彼はホールに入るよう手招きをする。
「お邪魔します」
「失礼します」
 マリアとイリアは挨拶をして、アデルとイゴールは一礼してホールに向かった。ディリータも後に続こうとしたが、呼び止められた。
「一年ぶりだね。ディリータ、おかえりなさい」
 確かな愛情が籠もった言葉。ディリータは顔を綻ばせた。
「ただいま、マーサおばちゃん」


「ここで待ってて。お茶もらってくるから」
 ラムザはそう言って部屋を出ていった。マリアはゆっくりと室内を見渡し、品のよい家具達に感嘆の息を漏らす。
 床全面に敷かれた鈍い赤色の絨毯。廊下に敷かれたものと同じ色を使うことによって部屋に一体感をもたせている。灰色の石造りの暖炉の両側にあるのは、幾何学模様をあしらった青地のタペストリー。防寒対策と室内の装飾を兼ねたものだろう。
 部屋の中央に置かれた黒檀の応接テーブルと六脚の椅子。彼女が試しに一つの椅子に座ってみると、柔らかすぎず。固すぎもしないクッションが座席にあてがわれていた。長時間座っても疲れないよう配慮された素晴らしい逸品。腕のいい職人の手によるものだと容易に理解できた。
「さすが、由緒ある家は家具もいいもの使ってるわ」
「そうなのか?」
 同じように椅子に腰掛けたアデルが、感触を確かめるように応接テーブルを肘で小突く。
「ええ。このテーブルと椅子の素材になっている黒檀は高級品よ。南方の暑い地方でしか生育しないものだがら、国内に出回る数はごく少数ね」
「へぇ、俺はあまり興味ないけどな」
「インテリアほど持ち主の個性を表すものはないのに。見てると面白いわよ」
「だったら、一度、俺たちの部屋を見てみろよ。一目でインテリアなんてどうでもよくなること間違いなし、だからさ」
 アデルは意味ありげな視線をイゴールに送る。夕陽が差し込む窓辺に佇む彼は、気づかぬふりをした。
「どういうこと?」
「それは…」
 廊下から扉を軽くノックする音。アデルは口を噤んだ。イリアがノックに応諾すると、先程玄関前に出迎えてくれた女性がワゴンを押して入室してきた。
「お茶をお持ちしました」
 ワゴンに載せられているのは、ポットと四人分のティーカップ、数枚の取り皿、そして、キッシュが盛りつけられた大皿だった。女性はナイフでキッシュを手頃な大きさに切り分けていく。切り口からは彩りのいい具が顔を覗かせ、焼きたてのパイが放つ香ばしい香りがした。
「お、うまそう」
 アデルの呟きに、女性はにっこり微笑んだ。
「ええ、美味しいですよ、アデル様。わたくし、マーサの自信作ですから」
 女性は一番厚く切ったキッシュを取り皿に載せ、アデルの目の前に置いた。彼のみならず、その場の全員が不思議そうに女性を見つめる。
「あの、なんで俺の名前知ってるんですか?」
「ラムザ様から皆様のお名前を聞きました。そうそう、先程、こうもおっしゃってました。『アデルは食いしん坊だから、キッシュ厚めに切ると喜ぶよ』って」
 アデル以外の三人は失笑する。当の本人は複雑な表情を浮かべた。
「ラムザのやつ、俺を何だと思っているんだ?」
「食い意地の張った仲間」
「三度の飯を何よりも愛する男」
 打てば響くように返ってきたイリアとマリアの答え。アデルは呻き声を上げ、イゴールに視線を向けた。沈黙を保っていた彼は紅茶を一口含み、にやりと笑った。
「否定できない側面だな」
 誰一人否定しないという事実にショックを受けたのか、アデルはテーブルの上へうつぶせに倒れ込んだ。テーブルの上に置かれた食器たちが振動に揺れて耳障りな音を立てる。
「アデル、ここはアカデミーの食堂じゃないのよ。変なことしないでよ」
 女性から紅茶の入ったカップを受け取り、マリアは彼の行儀の悪さを咎める。アデルはすぐ顔を起こし、抗議した。
「誰のせいだよ!誰の!」
 その時、けらけらと笑う声が上がる。給仕の仕事を終えた女性からだった。
「も、申し訳ありません。でも、皆様のやりとりが、ラムザ様やディリータが言っていた通りなので、おかしくて」
 謝罪しながらも、朗らかに笑い続ける女性を見ているうちに、四人の顔も綻ぶ。つられるように彼らも声をあげて笑っていた。


 室内に満ちていた笑いが収まると、女性は簡単に自己紹介をしてくれた。
 名前はマーサ。ラムザと彼の妹の乳母として、このベオルブ邸で働いているのだという。
「乳母というには、もう長いのですか? ベオルブ家に仕えてから」
 キッシュから立ち上るナツメグの香りを楽しみながら、イリアは質問した。
「そうですね、十八年くらいになります。もっとも、この本邸に勤めだしたのは九年ほど前ですけど」
「どういう事です?」
「フェリシア様…ラムザ様とアルマ様の母君が亡くなられて、お二人が旦那様に引き取られたとき、わたくしも一緒にこちらにきたものですから。だから、この屋敷の使用人としてはまだまだ新参者です」
 九年も仕えて新参者だと評する感覚に、イリアは舌を巻いた。謙遜かとも思ったが、ベオルブ家が有する広大な所領と邸の規模を想起し、無理らしからぬことかと考え直す。年功序列の下で、膨大な数の使用人達が所領と邸の維持・管理に勤めているのだろう。五十年戦争の戦功で貴族に叙せられ、身分だけを保障されたミザール家とは比べようもないか、と彼女は内心皮肉った。
「ラムザって、ここで生まれ育った訳ではないのですね?」
 ティーカップを受け皿に戻し、マリアが控えめな声で質問をする。イリアとは違う所が気になったようだった。
「ええ、そうですよ。……複雑な生い立ちをした方ですから」
 マーサの表情が曇る。彼女が曖昧にごまかした理由は、ラムザを知る者ならばたやすく推察できた。辺りの空気が一気に重くなる。マリアは聞くんじゃなかったと後悔した。
 凝り固まった場を崩したのは、アデルだった。
 彼は、ザクッと音を立ててキッシュの最後の一片にフォークを突き刺し、口の中に放り込む。美味しそうにキッシュを咀嚼し飲み込むと、マーサに人なつっこい笑顔を向けた。
「マーサさん。お茶のおかわりいただけますか?」
「あ、はい、ただ今」
 硬直から解けたようにマーサは動き出した。空になったアデルのカップに紅茶を注ぎ、ワゴンの上にある半円形になったキッシュにナイフを入れる。先程渡したものよりも数p薄く切っていることに苦笑しながら、アデルは別の話題を振った。
「ラムザとディリータは、今どうしてるんですか?」
「二人とも自分の部屋に戻っているはずです」
「そうですか。…じゃあ、このキッシュ俺達で全部食べるわけにはいかないですね。残さないと二人に恨まれそうだ」
「…アデル。そういうこと言うから、ラムザに『食いしん坊』だって言われるのよ。自覚あるの?」
 マリアが呆れるように言う。アデルは胸を張って切り返した。
「俺は『俺達で』といったぞ。俺一人で食べるとは言っていない」
「あ〜、はいはい。よくわかりました」
 投げやりな言葉に、アデルはむっとした表情をして反論する。すかさずマリアは論駁する。次第に彼らの口調は熱を帯び、やがて、途切れることなく繰り広げられる舌戦へと至った。
 こうなると、よほどの緊急事態にでもならないと二人は止まらない。
 ―――晩餐の席に案内されるまでの暇つぶしに丁度いいから、放置しよう。
 イゴールはそう独りごち、少しさめた紅茶を飲み干した。

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

↑ PAGE TOP