平原にて(2)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第二章 平原にて

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 ディリータが街道沿いに戻ると、イゴールとアデルは道の端に並んで座っていた。
「おかえり」
 イゴールが気づき、こちらに来るよう手招きする。
「あれ? ラムザは一緒じゃないのか?」
 アデルは何かを口に含んだまま尋ねてきた。
「そのうち来るはずだ」
「そうか。ディリータも食べるか、うまいぞ」
 ディリータはアデルが手にしているものを見て呆れた。非常用の干しブドウ。決しておやつ代わりのものではないのに。
「アデル、それは非常食だぞ」
「これは俺の私物。アカデミー支給の物ではないから安心してくれ」
 アデルから手渡された数粒の干しブドウを口に含む。酸っぱく、噛み締めるほど唾液が口内を満たし、のどを潤わせた。
「な、なかなかいいだろう? 水節約にぴったし」
「だからって、おまえはさっきから食べすぎだ。そろそろやめとけ」
 イゴールはアデルの手から干しブドウの入った紙袋を奪い取った。抗議するアデルを無視して、彼は胡坐を組んだひざの上に置かれた羊皮紙をディリータに示す。ディリータが覗き込むと、この辺りの詳細な地図だった。
「これを見てくれ。今のペースだと今夜はマンダリア平原のここらで、野営となる」
 イゴールは地図に描かれた街道を指でなぞり、ある一点で止める。ガリランドとイグーロスのほぼ中間地点だった。
「だが、この辺りには水辺がない。足を速めて平原の端にある村まで行くか、それとも少し手前の小川がある地点で野営にした方がいいと思うのだが」
「他の班長達はなんて言ったんだ?」
「第三班統一の意見として出した方がいいと考え、まだ伝えていない」
「そうだな、その方が無難だな」
 隊長役になった第五班班長のジークは、頭はいいが権勢欲が強い。班員が個人で意見を出しても聞く耳持たない可能性もある。班長であるラムザを代表にして、複数からの意見であるとした方がいいと判断したイゴールは正しいだろう。
「というわけで、ディリータの意見を聞きたい。どう思う?」
 ディリータは先ほどのラムザの横顔を思い出す。
 戻ると言ったときは少しは明るい顔をしていた。だが、あれはこちらを気遣ってのうわべだけのものだ。本当のあいつは精神的に疲れている。
「俺は、手前で野営したほうがいいと思う。初陣直後なんだ、無理はすべきじゃない」
 ディリータの答えに、アデルとイゴールは顔を見合わせた。
「ここまでは全員同じ意見か」
「あとはラムザの意見を聞くだけだな」
「イリアとマリアは?」
「一緒に“偵察”にいっている」
 女の子二人で席を外す。ディリータはその意味を察した。
「お、ラムザ。こっちこっち」
 街道からはずれて草原に立ちあさっての方向を向いているラムザを、アデルがすばやく見つけ手を振る。彼は呼びかけにすぐに気付き、自然な足取りで歩み寄ってきた。
「ここにいたのか。少し探してしまったよ」
「あ、わりぃ。ちょっと後ろに下がったんだよ。それよりも…」
 アデルはイゴールの膝から地図をとり、ラムザに野営の場所についての説明を始める。ディリータは注意深く二人を観察した。
 初陣でのアデルの動きの鈍さ。戦闘終了後、イゴールから聞いた話。
 以上から判断するに、アデルも何かを迷っている。先ほどから必要以上にものを食べるのはストレスによるものだろう。悩みがあると極端に食欲が落ちるラムザとは正反対だ。
 足して二で割れば、丁度いいだろうに。
「そうだね、僕も手前で野営するべきだと思う」
「じゃ、マリアたちが戻ったら、前方のやつらに合流するか」
「大変よ!」
 後方からマリアが駆け込んでくる。彼女は息を切らしながら事態を告げた。
「誰かが、襲われている。後ろ…の方…イリアが待機…」
「マリアはジークに事態を報告してくれ。僕たちは先行する!」
 いち早く状況を察知し、指示をだしたのはラムザだった。彼は即座に剣を手に取り、ガリランド方面へ駆け出す。その背中に追いつくべく、三人の男子候補生も走り出した。百歩ほど走ったところで、イリアが道端にたたずんでいる。こちら四人の姿を見て、彼女は片手をあげ、その指をはずれの草むらに向けた。馬車の車輪跡がくっきりと残っており、東に向かって続いている。
「この先よ。さっき、悲鳴のような声もかすかに聞こえた」
「わかった、急ごう」
 跡をたどって起伏のある草原を走り、小高い丘を登りきる。眼下に広がる光景を見て、五人は息を呑んだ。
 そこは、血のにおいが充満している戦場跡だった。横転している長距離旅行用の馬車。遥か遠くに転がり落ちている車輪。戦って殺害された騎士らしき者たちの死体。遺体からはまだ血が流れ出ていた。
 イゴールが耳を澄まし、手話で「誰かいる、ついてこい」と指示する。全員なるべく物音を立てないように注意しながらイゴールの後に続く。地面には這うように進んだ跡があり、やがて痕跡を塞ぐように大きな石灰岩にぶつかった。五人は二手に分かれ、岩の側面から前方を窺った。そこには、傷だらけの同じ年頃くらいの少年と、いかにも柄の悪そうな男が四名いた。少年は男たちに殴る、蹴るなどの暴行を受けていた。リーダーらしき男が腹部を蹴飛ばすと、少年は力なく地面に倒れた。
「おい、こいつまだ息があるようだぞ。どうする?」
「わかりきった事聞くなよ。侯爵さえ手に入ればいいんだ」
「そうだな」
 男が少年の髪を片手で掴み上げる。もう片方には血がついた抜き身の剣があった。
「悪いな、小僧。恨むなら自分の運命にしてくれ」
 ラムザはとっさに地面に落ちていた小石を拾い、男に向かって投げた。石は見事に少年を掴み上げていた男の後頭部に命中した。悲鳴をあげ、少年から手を離す。
「ラムザ、ナイスだ!」
「行こう! 彼を助けなければ!」
 ラムザの掛け声に、全員が応じた。鬨の声をあげて攻撃を開始する。


 イゴールは弓で援護をしながら、アデルとラムザの様子を注視した。人助けという明確な目的があるからなのか、二人の戦いぶりに迷いは感じられない。特にラムザの動きは訓練以上だった。真っ先に怪我人の身柄を確保して、手当をイリアに委ねてからは、彼特有の素早い動きで敵を翻弄し、退くよう忠告している。
 ディリータに視線を向けると、彼もこちらを一瞥し、かすかに頷いた。
 ―――お互い心配性だな、俺たちは。
 苦笑しながらも、イゴールは矢を番え放つ。それは狙い違わずイリアを狙っていた男の喉に命中した。男は血飛沫をあげて倒れる。残っていた男達は形勢が不利と判断したのか、逃げ出した。
「深追いする必要はないな」
 ディリータの言葉に同意するよう、全員が武器を収める。
「うん、行かせればいい。それよりも彼は大丈夫?」
「打撲、打ち身による怪我はひどいけど、骨は折れていないし、深刻な出血もない。これなら安静にすれば大丈夫」
 イリアは気絶している少年に回復魔法・ケアルをかける。彼の頬にあった殴打のあとは薄れたが、意識は戻らなかった。


***


 薬草のすがすがしい香りに促されるように、まぶたを開ける。目覚めは爽快だった。体中に走っていた苦痛も、痺れも感じない。手も足も普段どおりに動く。体を起こすと、何かが膝元に落ちる。それは見覚えのない複数の外套だった。
「よかった、気がついたね」
 背を向けて何か作業をしていた人物が身じろぎする自分に気づき、声をかけてくる。色白の顔に肩で切りそろえた黒髪が映える、同じ年頃の女の子だ。見覚えのない顔だった。
「ここは?」
「あなたが暴行を受けていた場所から北へ一時間ほど移動したところだよ。治癒はしたけど、どこか痛むところある?」
 一気に記憶がよみがえった。
 仲間たちの絶叫。馬車内に立ち込める黄色い煙。
 手足が痺れ、朦朧とする視界。扉が乱暴に開かれる音。
 複数の足音と話し声。
 抵抗することもかなわず連れ去られた銀髪の――
「侯爵様は!」
「侯爵? 残念だけど、あなた以外の生存者はいなかった」
 青紫の瞳を伏せて、女の子は答えた。
 虚偽だとは思えない。そもそも、嘘をついたところで相手に得がない。となれば、生き残ったのは自分一人だけなのだ。なんとしても侯爵様を助けなければ。だが、オレ一人でどうやって?
「これ、飲んでて。あなたが気づいたことをみんなに知らせてくるから」
 女の子はカップをオレに手渡して、天幕をくぐり出て行った。カップをのぞき込むと、中には真っ黒な液体が入っている。一口飲むと、独特の苦味が口内を満たした。少しさめた薬湯だ。苦味に顔をしかめながらも言いつけ通りに全て飲み干し、あたりを見渡す。
 どうやら自分がいるのは、旅の者が好んで使う野営用のテントの中のようだ。薄暗く、少し肌寒い。自分が意識を失ってからずいぶん時間が経っていることを、外気の冷たさが告げていた。耳を澄ませば、外から複数の人の声がする。
 薬師らしき女の子がいるのだから、ここは大規模な隊商のテントなのだろうか? とにかく、自分が置かれた状況を確認する必要がある。
 毛布代わりにあてがわれた外套を脇によけると、あるものが目に付いた。金の細い模様が描かれた赤銅色の鞘に収められた一振りの剣。自分のものだった。襲撃されたときどこかに落としてしまったのに。誰かが拾ってくれたのだろうか。
 助けれくれた人に感謝すべきことがもう一つ増えたなと苦笑いし、ベルトの留め金に鞘を固定する。いつもの重みに安堵しながら、テントの外へ出る。
 そこは、夕焼け色の染まっていた。


 二人分の食事をよそってもらい差し入れに行く途中で、ディリータはイリアにあった。
「あ、あの子、気づいたからラムザ達に知らせてくる。ディリータ、そのご飯もっていってあげて」
 早口でしゃべり、こちらが口を開く前に彼女は踵を返してしまった。
 食事を手渡す暇さえ与えられなかったディリータは肩をすくめ、テントへと向かった。目的地のすぐそばに人影がある。昼間保護した少年だった。こちらの力量を推し量るような目つきでディリータを凝視している。初対面なのにぶしつけな奴だな、と少し不快に思った。
「食事だ。食えるか?」
 内心の感情を押し隠して尋ねる。
 相手は無言で、ディリータの左腰に鋭い視線を向けていた。帯剣しているから警戒されているのだろうか。
「俺は怪しい者じゃない。士官アカデミーの学生だ。名はディリータ・ハイラル」
「オレはアルガス・サダルファス。ランベリー近衛騎士団の…騎士だ」
「騎士?」
 思わず疑うような声が出てしまった。
 士官アカデミー卒業、あるいは同等の教育を修めて、騎士見習いから騎士に昇格できるのは、二十代前半。早い人でも二十歳前後だ。面前の少年はどう見てもディリータと同じ十代後半。よほどの特例でもない限り、あり得ない。
「いや…ほんとは騎士見習いなんだよ。なんだよ、お前だって似たようなものだろ?」
 ディリータは答える代わりに、両手に持っていた椀の一つを彼に差し出す。アルガスは礼を言って受け取った。お互い適当な場所に座り、椀の中身を、干し肉と野草のスープ、スープに浸した固パンをいただく。
 食事当番のアデルが「見た目は質素だけど味は保障するぜ!」と豪語していただけあって、塩加減といい干し肉と野草の煮込み具合といい、絶妙の一品だった。
「あの…」
 控えめな呼びかけに、ディリータは食事を中断した。視線でアルガスに続きを促す。
「言うのが遅れたが、まずは礼を言わせてくれ。助けていただいて感謝している。それと、聞きたいことがある」
 軽く頭を下げてから、アルガスは続けた。
「なぜ、士官アカデミーの学生がこんなところにいるんだ?」
「俺たちは北天騎士団の命令でイグーロスに向かっているんだ。詳しくは、彼らから聞いてくれ」
 ディリータは前方に視線を向ける。三人の班長達が、イリアの案内の下こちらに近づいていた。近すぎず、遠すぎずの距離でジークとリチャードが足を止めた。ディリータは席をはずそうとしたが、ラムザに止められてその場に残る。イリアは「食事を食べてくる」といって去った。
「僕らはイグーロスへ移動途中の士官アカデミーの学生だ。自分はこの隊を預かるジーク・ヴェルフォンズ。宜しければ貴方のお名前を」
「ランベリー近衛騎士団所属の見習い騎士、アルガス・サダルファスだ。助けていただき感謝している」
 今度は素直に見習い騎士だとアルガスは告げた。椀を脇に置いて立ち上がり、教本に手本として描かれていそうなお辞儀をする。ジークは鷹揚に謝意を受け、彼と、立ったままの二人の班長に座るよう促した。
「本当にランベリーの者みたいだな」
 リチャードの呟きにジークは頷き、ラムザに意味ありげな視線を送った。心得ているラムザは懐から小さな皮袋を取り出す。沈痛な表情でアルガスに手渡した。
 ディリータにはすぐ中身が推察できた。銀のプレートがついたネックレス−ネームタグ。昼間埋葬した騎士達のものだった。プレートの裏にはランベリー領領主・エルムドア侯爵の紋章、翼を広げた大鷲が描かれていたのを思い出す。
 中身を確認したアルガスは顔を強張らせる。彼は皮袋を握り締めながら黙祷し、懐にしまった。
「遺体は街道沿いに埋葬しておいた」
 ジークの言葉にアルガスは小声で礼を言う。
「あれは、骸旅団らしき盗賊だった。よければ、何があったのか教えてほしい」
 ラムザは静かな口調で尋ねる。アルガスは四人の少年達の顔を見渡して、そのうち二人の名前を知らないことに気がついた。
「ああ。えっと、君は…」
「僕はラムザ・ベオルブ」
「俺は――」
「ベ、ベオルブって、あの北天騎士団のベオルブ家か?!」
 リチャードの自己紹介は、歓声を上げるアルガスに遮られた。
 ラムザは複雑な顔をしながらも、肯定する。
「ラッキー! なんてついているんだ。オレは!」
 アルガスは小躍りしそうな勢いで喜び、ラムザの顔を凝視した。
「お願いだ。エルムドア侯爵様を助けるために、北天騎士団の力を貸してくれ!」
「どういうことだ?」
「侯爵様はまだ生きている。奴らに、骸旅団に誘拐されてしまったんだ。早く手を打たないと殺されてしまう。そうなってしまっては、オレは…」
 リチャードの質問に畳み掛けるように答え、アルガスはラムザの手を力の限り握り締めた。
「だから、頼む! 力を貸してくれ!」
「落ち着けよ。死ぬと決まったわけじゃない。誘拐なら何かしらの要求があるはずだ」
 ディリータは彼をなだめるべく、口を挟む。
 手の痛みを顔に出さないように注意しながら、ラムザも口を開いた。
「それに、僕達だけじゃどうしようもない。エルムドア候が誘拐されたのならば、イグーロスじゃ今頃大騒ぎのはずだよ。ひとまず上層部に報告しないと」
 アルガスはディリータとラムザの顔を交互に見、そして彼らの表情が真摯なものであることを確認する。
「わかった。イグーロスへ行こう。興奮して悪かった」
 彼は小声で謝罪し、握り締めていたラムザの手を離した。指の跡が真っ赤についていた。

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