追想>>Novel>>Starry Heaven

追想

 引っ越し作業というものは事務処理作業であり、片付け作業でもある。
 部屋に置かれた物を分別し、必要な物は新しい生活をおくるための場所へ運び出し、不要な物は焼却処分にまわせばいい。ただ、それだけのことだ。
 北天騎士団の事務処理を行ってきた机と椅子。木造の書棚に収納された数十冊の書物。備え付けのクローゼットと、普段着を入れてある衣装箱。マントを立て掛けるハンガー。必要最低限の物しか置いていない自分の部屋。おそらく全ての作業は数時間で片付くだろう。部屋を見渡してエバンスはそう思った。
 だが、どうやら甘かったようだ。香りが吹き飛んでしまうほど大量の砂糖とミルクを注ぎ込んだ紅茶のように。
 正午から作業を始めたのに、思ったよりもはかどらない。収納されている品々を見ていると、様々な記憶が蘇り、つい関連する過去を回想してしまう。普段誇っている事務処理能力は全く発揮されなかった。
 日がずいぶん西に傾いた頃、ようやく机の中にしまっていた物の分別が終わった。机の横には、一抱えほどの大きさの木箱が二つ転がっている。中に入っているのは、程度こそ低いが、機密といってもおかしくはない文書の束。エバンスは厳重に封をし、上面に『要・焼却』とペンで書き殴った。ペンを机の上に転がし、自分自身は床に寝ころぶ。
「はぁ、疲れた」
 仰向けに寝ころび、身体全身で南向きの窓から降り注ぐ陽光を浴びる。疲れ切った身体には優しく、心地よい温もり。徐々に頭がぼんやりとし、エバンスは大きなあくびをした。
「やばい!」
 微睡みの世界へ誘われるわけにはいかない。エバンスは慌てて飛び起きた。
 部屋を片付ける期限は今日の夕方まで。それ以降は予定が立て込んでおり、自由になる時間は皆無と言ってもいい。何が何でも今日中に私物を全部片付けなくてはならないのだ。
 エバンスは吐息交じりに立ち上がって、書棚に移動する。棚に収められた数十冊もの書物を見上げ、うんざりした。新居となる家は部屋数が少なく、自分用の書斎とできる部屋はない。全ての書物を持ち運ぶことは不可能だ。持ち運べるとしても、せいぜい十冊が限度だろう。分厚い書物の内容を確認し、選別という作業をしなければならない。
 げんなりしながらも、エバンスは適当に書棚から一冊を手に取った。煉瓦色の革でカバーされた本。表紙にタイトルはなかった。見開いてみると、色あせたインクで綴られた自分の筆跡が飛び込んでくる。彼は瞬時に内容を理解し、そして、そのまま文字を目で追っていった。

◆◇◆

 王国歴四五五年 白羊の月三日
 今日は珍しいことが二つあった。
 まずひとつは、ランベリー領領主のエルムドア侯爵が骸旅団の奴らに誘拐されたことだ。なぜ、彼がここガリオンヌ領にいたのか。なぜ、義賊と声高に主張する骸旅団が要人を誘拐し身代金を要求するという卑劣な手段をとったのか。
 前者についてはある程度の予想はついた。ザルバッグや軍師が特に慌ててないところを見ると、上の方には彼の表敬訪問が知らされていたのかもしれない。
 後者については未だに謎なままだ。侯爵誘拐は、骸旅団団長ウィーグラフの人となりにあまりにもそぐわない。彼の部下一派の独断と思われる。これは、すなわち指揮命令系統は破綻しており、強固なはずだった彼らの結束がほころび始めている事を示している。作戦実行を早めてもいいかもしれない。
 もう一つは、ザルバッグの弟とはじめて言葉を交わしたことだ。受け持った取り調べ相手が当の本人だったとは驚いた。腹違いだけあって、外見はザルバッグと似ていなかった。だが、相手の目をそらすことのない強い目は共通すると言ってもいい。やはり氏より育ちなのだろう。
 明日は、朝からザルバッグと共に御前会議に出席予定だ。埒が明かない重臣達との苦痛な会話が待ちかまえている。今夜はさっさと休むことにしよう。


 王国歴四五五年 白羊の月四日
 呆れて何も言えないとはまさにこの事だろう。
 苦痛な御前会議が終わって執務室に戻った直後、六名の士官候補生が出奔したという報告がもたらされた。ランベリー近衛騎士団所属の騎士見習いも同行していることから、侯爵救出に向かったと思われる。彼らの行動は決して誉められたものではない。城門警備という命令を無視して、勝手に行動しているからだ。だが、今回は彼ら以上に問題行動を起こした人物がいる。
 それは、ザルバッグだ。報告を受けた時点でやけに嬉しそうな顔をしているから問いつめたところ、奴が手引きをしていることが判明。警備場所を決める際のくじ引きを操作し、弟達の班が正門の警備にあたるようにしたこと。ドーターで消息を絶った草のことを弟に漏らしたこと。奴は素直に自供した。
 北天騎士団団長が自ら命令違反を示唆して、軍律が成り立つと思っているのか!
 ところが、奴には反省の色がなかった。
「ひとまず、ラムザ達第三班には特別任務を与えたという事にしておいてくれ」
 と、平然と言う。それだけの情報操作がどれだけ困難か知っているのか!あいつは!!
 さすがにこちらの怒りに気づいたのだろう。奴は慌てて付け足した。
「ドーターには偵察部隊を出す予定だったんだ。丁度いいではないか」
 確かに、御前会議で侯爵を救助するため幾つかの小隊を出すことは決定していた。だからといって、経験の浅い士官候補生達にいかせる必要があるものか……。
 しかし、彼らがすでに出立している以上、仕方ない。ザルバッグの指示通りにしておこう。俺の責任じゃない。団長の命令でしたという見事な言い訳もできることだしな。


 王国歴四五五年 白羊の月五日
 ザルバッグの指示は、実地演習として警備に参加している他の士官候補生達にとっては不服らしい。彼らの反応も当たり前だ。明確な理由も示さず、第三班だけに団長直々の別命が下されたという形になっているのだから。気持ちはわかる。だが、「ベオルブの者だから特別扱いされているんだ!」という批判を聞かされるとは思ってなかった。
 その指摘はあながち外れではない。だが、ザルバッグや軍師の耳に入れることは断じて避けたい。直訴してきた候補生(ある意味いい度胸をしている)には、「貴官は、身内だからという個人的かつ恣意的な理由で、誇り高いベオルブ家に属する将軍が、第三班を依怙贔屓にしていると言いたいのか?」と脅しをかけておいた。多少凄味をかけておいたせいか、相手は顔色を変えて引き下がっていった。
 論点のすり替えに過ぎないということに相手は気づかなかった。正直助かった。突っ込まれたら俺には答えようがないからだ。
 それにしても、ベオルブの威名は大きい。偉大でもあり、そして、恐ろしく重いものでもある。属する者は否応なしに背負わされ、名声を維持し続けることを義務づけられる。ザルバッグは苦痛に感じたことはないのだろうか?

◇◆◇

 エバンスは深いため息をついた。
 自分は気づいてはいた。ザルバッグの苦しみを。
 だが、この当時はそれほど深刻に考えていなかった。彼の困った一面から引き起こされる迷惑事の処理に追われるうちに、疑問はそのうち奥底に沈んでいったからだ。
 もし、もっと注意を払っていたのなら、自分を取り巻く現状は変わっていただろうか。
 もし、あの雪の日、自分が間に合っていれば、ザルバッグから笑顔が消える事はなかっただろうか。
 もし、あのとき彼を止めていれば、あるいは自分もついて行けば、こんな忸怩たる思いをしなくても良かったのだろうか。
 幾度となく繰り返してきた仮定が頭に浮かぶ。いくら悔いたところで過去は変わりはしない。だが、後悔することが愚かだとは思いたくない。過去の自分を知り、悔い改め、今に生かす。その営みを忘れ去ることこそが、愚かだと思いたかった。
 エバンスは数ページを無造作に捲る。
 現れたページに綴られているのは、嫌なことは後回しにするというザルバッグの子供じみた一面から勃発した、覚えている限り最後の迷惑事だった。

◆◇◆

 王国歴四五五年 白羊の月二一日
 普段は定刻に来るザルバッグだが、今日は一時間以上も遅れて出勤してきた。しかも、やけに元気がない。理由を尋ねると、軍師から命令違反を教唆したことについて厳しい叱責を受けた、とのこと。さすが、鋭利な頭脳を持つ軍師だ。候補生達の情報ルーツなどお見通しというわけだ。ザルバッグに対して言葉による厳重注意だけで終わったのは、候補生達が無事侯爵を救出した成果に対する温情だろう。
 だが、ザルバッグはどうも別の点が気になるらしい。燻りだしと呼称された作戦実行日まで日がないというのに、どこかぼんやりしている。上の空で書類にサインするものだから、綴りミスが出始めている。同じ書類を二度処理するのは甚だ迷惑なので、一喝入れる。すると、ザルバッグは、いきなり「そうだ」と叫んだ。
「エバンス、明日か明後日でいい、半日休みをくれ」
 俺は一瞬、耳を疑った。
 こいつは現状がわかっているのか? 五日後には重要な作戦が実行されるんだぞ。その準備や打ち合わせで予定は一杯なんだぞ。俺はここ一週間家にも帰らず、本部に詰めているだぞ。愛するミレーユに一週間も会ってないんだぞ!!
「だ、ダメか?」
 恐る恐るザルバッグは尋ね返してくる。団長ともあろう者が、副官たる俺の不穏な空気に怯える様はひどく滑稽だ。哀れに感じ、少し頭を冷やして理由を尋ねてみた。すると、意外な返事が返ってきた。
「侯爵誘拐の実行犯は骸旅団だが、それを教唆した奴らの背後関係を知りたい。直接彼らと剣を交えたラムザ達なら、何か掴んでいるかもしれない」
 だから、彼らから話を聞くだけの自由時間がほしいということらしい。その疑問は俺自身も感じていたから、異議はない。しかしスケジュールは過密で半日も都合はできない。そこで書類を全て処理するという条件の上で、明後日の夕方以降に空きを作った。
 ザルバッグは喜んでいた。笑顔で礼を言われ、折角だから彼らと食事を共にするかなと、予定を立てていた。
 おかげで、俺が処理すべき事案は増えたのだが。まあ、たまにはいいだろう。


 王国歴四五五年 白羊の月二二日
 新しく俺が処理する事になった件で、ほぼ一日が潰れた。はぁ、さすがに疲れた………。今日は何も書く気がしない。さっさと休むことにしよう。


 王国歴四五五年 白羊の月二三日
 久しぶりに怒りで我を忘れてしまった。でも、俺は悪くない。悪いのは、約束を破ったザルバッグの方だ。
 昼過ぎザルバッグの執務室を覗いてみたら、奴はずいぶんそわそわしているように見えた。恐らく夕方以降の自由時間が待ち遠しいのだろう。気持ちはわからないでもない。だから、餞別代わりにとっておきの紅茶の葉を持参した。ザルバッグに煎れ方を伝授した後、俺は決済を任せた書類の提出を求めた。
「すまん! まだ三分の一残っているんだ。今晩やるから勘弁してくれ」
 そういってザルバッグは頭を下げる。
 俺は、予め用意してあった言い訳だと直感した。

 その書類は、すべて今日中に決済する必要があるものなのですが?
 お前は、休みを取る代わりに全ての書類を片付けると俺に約束したよな?

 俺は無言で部屋を退出し、扉に鍵をかけた。そして、部下一人を呼びつけて「ザルバッグを絶対この部屋から出すな」と厳命する。室内から抗議の声がするが、そんなのは関係ない。俺は一切無視し、また部下にも無視するよう指示し仕事に戻った。
 しかし、鍵をかけただけでは甘かったらしい。
 少し仕事が落ち着いたので執務室に戻ると、そこはもぬけの殻だった。部下に尋ねてみると、誰も部屋に出入りしていないという。室内を見渡すと、先程きたときは閉まっていた窓が開け放たれている。窓辺下の芝生には、軍靴の跡が残されていた。

 窓から脱走するとは、お前は夜間に脱寮する士官候補生か!
 脱走する暇があったら、さっさと書類を片付ければ良かろうに。

 呆れつつも、俺はそのまま窓から飛び降りた。二階建ての高さくらい何も支障はない。膝をクッションにして着地し、ザルバッグを連れ戻すべく本部施設を走り回った。
 闘技場、裏庭、弓術修練場、そして、資料館。
 逃げ込みそうな場所は全部探したが、いなかった。裏をかくのは戦術の基本だ。ひょっとしたらと思って、自分の部屋を覗く。
 いた。マジで。灯台もと暗し、か?
 奴は鈍色の戦闘服を着込み、書物を一冊手にとって熱心に読んでいる。
「本を読む暇があったら、書類を片付けないか!」
 戸口で俺が叫ぶと、奴は逃げようと辺りを見渡す。無駄なことだ。自分の部屋の状況は俺自身が一番正確に把握している。唯一の窓は鍵をかけてあるし、外に通じる扉は自分が立っているここにしかない。ここは完全な袋小路だ。
「さて、ザルバッグ様。約束を果たしていただきましょうか」
 ことさら丁寧な口調で、奴の逃げ道を塞ぐ。
「そろそろ時間なのだが…エバンス」
「それが?」
「融通を利かせれば、今日中じゃなくてもいい書類だったぞ?」
「だから?」
「今夜か、明日の朝やるというのは…」
「却下だ! ベオルブ邸に早く戻りたいというのならば、一分一秒でも早く書類を処理するんだな」
 引きずりながら自室から政務室へと奴を連れ戻す。椅子に座らせ、逃げ出さないよう厳重に隣で監視する。奴は渋々書類に目を通し、サインをし始めた。
 すっかり日が暮れ夜のとばりが降りても、書類はまだ半分以上残っていた。さすがに哀れに感じ、ザルバッグが全責任を負うという前提で書類と共に帰宅することを俺は許した。奴は凄い勢いで執務室を出ていき、廊下に控えていた部下に馬車を用意するよう命令していた。

 脱走しなければ、夜までには片付いたのに。わかっているのか、あいつは。


 王国歴四五五年 白羊の月二四日
 朝、若干疲れのある顔で、ザルバッグは全ての書類を俺に提出してきた。その場で一通り目を通す。全てに決済済みのサインがしてあるのを確認した。お疲れさん、というと彼は満足そうに頷いた。
「約束は果たしたぞ」
「ザルバッグ。そもそも全部片付けると約束したから、俺はお前に休暇を取ることを許したのだが?」
「わかっている。だから埋め合わせをするさ」
 意外な申し出だ。俺は顔を上げて彼の言葉を待った。
「明日、お前に休みを用意した。もうずっと帰ってないのだろう。たまには奥方に顔を出してこい」
 俺は、ありがたくその申し出を受けた。

◇◆◇

「失礼します」
 扉が開かれ、一人の青年が入室してくる。二十代前半というまだ若い騎士だった。
「団長代行、時間ですが」
「もう、か?」
 エバンスは視線を日記から柱時計へと移す。短針が四の数字を指す十五分前だった。
「そうみたいだな。今、支度する。先に行って準備を整えておいてくれないか」
「了解しました」
 ぱたんとドアが閉めらる。エバンスは日記を閉じ机の上に置いた。埃と汗にまみれた服を着替え、手ぬぐいで顔を拭いた。人前に出られる格好をしていると窓を鏡代わりにし確認する。不備がないとわかると、彼はハンガーに掛けてあった青のマントを羽織った。
「結局、終わらなかったな。まあ、会談が早めに終われば何とかなるか」
 部屋を見渡し、彼は独りそう呟く。机の上にぽつんとある数年前の日記を床に置いてあった鞄に入れ、入れ替わりに一通の封筒を取り出す。かなりくたびれており、少し黄ばんだ封筒。丁寧に畳まれた便せんを取り出し、開く。
 文章を構成する雄大な筆跡が、今となっては懐かしい。
 彼はじっくり時間をかけて読む。手紙に書かれた指示に反していないか確認するために。手紙に込められた差出人の真意に反していないか記憶と照合するために。そして、選択した道が剣をとる必要のない平和な世界への第一歩となりうるか、あいつと一緒に考えるために。

 俺の選択、間違ってないよな? ザルバッグ。
 間違っていると言いたいなら、さっさと帰ってこい。
 皆が、お前を待っているのだから…。

 柱時計が四回鳴り、時を告げる。時間だ。エバンスは便せんを折り目に沿って畳み、封筒に入れる。そのまま懐のポケットにしまい、彼は部屋をでた。

- end -

2005.10.18

(あとがき)
 めでたく完成しました!
 「ザルバッグとエバンスの日常的な(困った)やりとり」というリクエストだったのですが、達成したと言えるか少し不安。
 少々補足説明を。
 時代背景としては、Chapter4終盤・イグーロス城での戦闘から数ヶ月後。ザルバッグが行方不明ゆえに、エバンスが団長代行として、北天騎士団の解散処理と南天騎士団を率いるディリータとの和平交渉をしているという設定です。長編よりも先のこと書いてもいいのかなぁと迷いましたが、他にいい設定が思いつかなかったのですよ。結局、書き上げてしまいました。面白かったと言ってもらえれば、これ幸いです。

↑ PAGE TOP